綾田整治
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綾田 整治(あやだ せいじ、1906年3月10日 - 2003年5月10日)は、百十四銀行元頭取・会長。
生涯
[編集]1944年に取締役営業部長、1948年に専務と昇進を重ね、里見信三の死去を受けて第5代頭取(代表者としては8代目)に就任。46歳での頭取就任は全国最年少であった。トップ在任時には、現本店ビルの竣工や東京証券取引所第一部上場を成し遂げたほか、同行を11都府県にまたがる広域地銀に育て上げ、逝去するまで相談役として在任した。
1978年10月1日当時、同行の株式を250万株所有する個人筆頭株主であった。また、自身の退職金3億円を基礎として、経済的支援を必要とする香川県内在住の高校生を対象とする「公益信託綾田整治記念遺児育英基金」を創設。育英事業にも尽力した。
現相談役である綾田修作は長男。
略歴
[編集]- 1930年- 東京帝国大学経済学部卒業後高松百十四銀行入行
- 1944年- 取締役営業部長
- 1945年- 常務取締役
- 1948年- 専務取締役
- 1952年- 頭取
- 1975年- 会長
- 1979年- 名誉会長
- 1989年- 取締役相談役
- 1993年- 相談役
- 2003年
- 5月10日- 坂出市内の病院にて逝去[1]。享年97
- 5月28日- 全日空ホテルクレメント高松(現・JRホテルクレメント高松)にてお別れの会を開催
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ “綾田整治氏死去 元百十四銀行頭取”. 共同通信. (2003年5月12日) 2014年10月29日閲覧。