繁沢就忠
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永17年(1640年) |
死没 | 元禄4年11月21日(1692年1月9日) |
改名 | 繁沢喜蔵(幼名)→繁沢就忠 |
別名 | 七十郎、市之助(通称) |
主君 | 毛利綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 繁沢家 |
父母 | 父:繁沢就真 |
子 | 氏守 |
繁沢 就忠(はんざわ なりただ)は、江戸時代前期の長州藩士。父は繁沢就真。
生涯
[編集]寛永17年(1640年)、繁沢就真の子として生まれる。慶安元年(1648年)8月1日、毛利秀就の加冠により、七十郎の通称と「就」の偏諱を与えられ、就忠を名乗った。
元禄4年(1692年)、53歳で死去した。跡を子の氏守(忠三郎、平左衛門)が継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻77「繁澤平左衛門」