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織田寛貞(おだ とおさだ[1]、生没年不詳)は、尾張国の武将である。筑後守を称した[1][2]。
尾張楽田城主で[2]、清洲三奉行藤左衛門家の庶流、織田久長の流れを汲むとされる。
1548年、犬山城主織田信清と共謀し、織田信秀と抗争した。1562年、信長についた信清に攻略され、城を失い没落する。[3][出典無効]
子の忠寛(津田一安)は信長に仕えた[1]。
- ^ a b c 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年、281頁。ISBN 978-4-642-01457-1。
- ^ a b c d 名古屋市教育委員会 編『名古屋叢書続編 第十七巻 士林泝洄(一)』名古屋市教育委員会、1966年、125頁。全国書誌番号:51000684。
- ^ “[http://nob7ba.web.fc2.com/nob/oda003.html �D�c�ꑰ]”. nob7ba.web.fc2.com. 2024年10月16日閲覧。