コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

羅本新二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羅本 新二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県鈴鹿市
生年月日 (1955-02-17) 1955年2月17日(69歳)
身長
体重
176 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1978年 ドラフト外
初出場 1979年5月12日
最終出場 1984年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

羅本 新二(らもと しんじ、1955年2月17日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。

来歴・人物

[編集]

中京商業高では、1972年夏の甲子園予選三岐大会準決勝に進むが、海星高に完封負けを喫する。社会人野球本田技研鈴鹿に入社。

1978年都市対抗では2回戦で日本通運と対戦、延長12回にサヨナラ適時打を放つ。この大会では準決勝に進むが日本鋼管に敗退。同年オフにドラフト外ヤクルトスワローズに入団。

主に代走要員として出場する。

1981年には遊撃手として2試合に先発出場。

1983年には二塁手として1試合、中堅手として3試合に先発。同年6月24日大洋との対戦では一番打者に起用され、無安打ながら2四球2盗塁を記録する。

1986年限りで現役を引退。

引退後はヤクルトでスカウトを務め[1]古田敦也らの入団交渉を担当した。スカウト部長の片岡宏雄は、大卒時のドラフトで約束を反故にされプロ球団への強い不信感を抱いていた古田の獲得に成功したのは、担当スカウトの羅本がよく古田の信頼を勝ち得ていたことが大きいと述べている[2]

2016年学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる[3]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1979 ヤクルト 10 5 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .250 .400 .250 .650
1981 41 16 16 7 3 1 0 0 4 0 9 2 0 0 0 0 0 4 0 .188 .188 .250 .438
1982 34 5 5 5 0 0 0 0 0 0 8 2 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1983 42 21 17 8 6 0 0 1 9 3 10 5 1 0 3 0 0 2 1 .353 .450 .529 .979
1984 49 13 12 9 1 0 0 0 1 0 3 4 0 0 1 0 0 3 0 .083 .154 .083 .237
通算:5年 176 60 54 29 11 1 0 1 15 3 30 13 1 0 5 0 0 11 1 .204 .271 .278 .549

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 58 (1979年 - 1986年)

脚注

[編集]
  1. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
  2. ^ 片岡宏雄『スカウト物語』107頁
  3. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 片岡宏雄『スカウト物語』(健康ジャーナル社、2002年)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]