美作総社宮
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総社 | |
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社殿(本殿は重要文化財) | |
所在地 | 岡山県津山市総社427 |
位置 | 北緯35度04分26.70秒 東経133度59分39.47秒 / 北緯35.0740833度 東経133.9942972度座標: 北緯35度04分26.70秒 東経133度59分39.47秒 / 北緯35.0740833度 東経133.9942972度 |
主祭神 | 大己貴命 |
社格等 |
美作国総社 旧県社 |
創建 | (伝)欽明天皇25年(564年?) |
本殿の様式 | 中山造 |
別名 | 美作総社宮、惣社大明神 |
札所等 | 美作三大社 |
主な神事 | 湯立神事(12月10日) |
美作総社宮(みまさかそうじゃぐう)は、岡山県津山市にある神社。正式名称は総社。美作国総社で、旧社格は県社。
祭神
[編集]- 主祭神
- 大己貴命 (おおなむちのみこと)
- 相殿神
歴史
[編集]古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。
社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという[1]。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない[2]。
奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える[1]。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという[1]。鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は美作三大社の一社として崇敬されたと伝える[1]。
確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就により所領が安堵されて以降である[2]。その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主の森氏・松平氏から社領の寄進も受けた[1]。
明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料供進神社に指定された[2]。
境内
[編集]- 本殿(重要文化財)
- 戦国時代の永禄5年(1562年)毛利元就が戦勝の記念として再建した。江戸時代前期の明暦3年(1657年)に津山藩主森長継により大改修が行われた。
- この地方独自の中山造で、桁行三間・梁間三間・一重入母屋造・妻入、向拝一間・向唐破風造、こけら葺である。
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本殿(国の重要文化財)
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拝殿
摂末社
[編集]- 天満神社
- 稲荷神社
- 南神社
- 御崎神社
祭事
[編集]文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]現地情報
[編集]- 所在地
- 周辺
- 国府台寺 - 美作国府跡の位置にあたる
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 現地説明板
- 『日本歴史地名体系 岡山県の地名』(平凡社)津山市 総社項
- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会 編『新版 岡山県の歴史散歩』(山川出版社、1991年)196ページ