コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

堺市立美木多小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
美木多小学校から転送)
堺市立美木多小学校
地図北緯34度28分28秒 東経135度29分02秒 / 北緯34.474583度 東経135.483944度 / 34.474583; 135.483944座標: 北緯34度28分28秒 東経135度29分02秒 / 北緯34.474583度 東経135.483944度 / 34.474583; 135.483944
過去の名称 堺県泉州第十六番小学校
大鳥郡上村小学校
大鳥郡上村簡易小学校
大鳥郡上村尋常小学校
泉北郡上村尋常小学校
泉北郡美木多尋常小学校
泉北郡美木多尋常高等小学校
泉北郡美木多国民学校
美木多村立小学校
福泉町立第三小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 堺市
設立年月日 1874年10月15日
創立記念日 10月15日
創立者 泉北郡美木多村
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B127210003364 ウィキデータを編集
所在地 590-0132
大阪府堺市南区鴨谷台1丁48番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

堺市立美木多小学校(さかいしりつ みきた しょうがっこう)は、大阪府堺市南区にある公立小学校

泉北郡美木多村の旧村地区と、泉北ニュータウン光明池地区の鴨谷台を校区とする。

沿革

[編集]

明治時代初期の1872年美多弥(みたみ)神社境内に設置された郷学校を起源としている。

学制発布などを経て、1874年10月15日に第三大学区堺県管内第十七番中学区第十六番小学校(堺県泉州第十六番小学校)となった。学校沿革史では、第十六番小学校の発足をもって学校創立としている。

その後学校制度の改編などにより上村尋常小学校となり、さらに1900年に美木多尋常小学校と改称した。1913年には高等科を併設した。

1941年には国民学校令により、美木多国民学校と称した。太平洋戦争の影響で、堺市中心部の国民学校児童に1945年春以降学童疎開が指示されたことに伴い、美木多国民学校では1945年4月26日 より堺市錦国民学校(現在の堺市立錦小学校)からの集団疎開を受け入れた。

1947年学制改革により、美木多村立小学校となった。美木多村は1956年9月30日に泉北郡福泉町に編入された。これに伴い福泉町立第三小学校に改称し、美木多の校名は一度消滅している。

福泉町は1961年3月1日に堺市に編入された。編入の際に堺市立美木多小学校に改称し、美木多の校名が復帰している。

かつて学校は旧村部にあったが、泉北ニュータウンの開発に伴い1975年にニュータウン内の現在地に移転している。泉北ニュータウンの小中学校はニュータウン開発に伴って新設されたものが大半であるが、旧村部にあった学校を移転の上継承しているという数少ないケースでもある。

年表

[編集]
  • 1872年 - 美多弥神社境内に郷学校を設置。
  • 1873年 - 堺県泉州第十五番小学校分校となる。
  • 1874年10月15日 - 第三大学区堺県管内第十七番中学区第十六番小学校(堺県泉州第十六番小学校)として開校。
  • 1875年2月 - 大鳥郡上村小学校と改称。
  • 1887年 - 大鳥郡上村尋常小学校に改称。
  • 1888年 - 大鳥郡上村簡易小学校に改編。
  • 1893年 - 大鳥郡上村尋常小学校に再改編。
  • 1896年4月1日 - 郡の合併に伴い、泉北郡上村尋常小学校と称する。
  • 1900年 - 泉北郡美木多尋常小学校に改称。
  • 1913年 - 高等科を設置。泉北郡美木多尋常高等小学校に改称。
  • 1941年 - 国民学校令により、泉北郡美木多国民学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 学制改革により、美木多村立小学校に改称。
  • 1956年9月30日 - 美木多村が福泉町に編入されたことに伴い、福泉町立第三小学校に改称。
  • 1960年 - 完全給食を開始。
  • 1961年3月1日 - 福泉町が堺市に編入されたことに伴い、堺市立美木多小学校に改称。
  • 1965年 - 標準服を制定。
  • 1975年 - 堺市檜尾3055番地(現在地)に移転。

通学区域

[編集]
  • 堺市南区 大森、別所、鴨谷台の全域。
  • 堺市南区 檜尾、美木多上のそれぞれ一部。
卒業生は堺市立美木多中学校に進学する。

出身者

[編集]

交通

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]