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美楯山海一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

美楯山 海一郎(みたてやま かいいちろう、1925年7月20日 -没年不明 )は、立浪部屋時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は樋下 茂(ひのした しげる)(旧姓田上)。岩手県盛岡市出身。174cm、77kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、上手投げ。

経歴

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1942年1月場所に初土俵。1948年5月場所に十両昇進。十両を16場所務め、十両上位に顔を出すこともあった。1954年5月場所に28歳で廃業した。力強さと粘り強さを活かして右四つから攻めたり、上手投げを繰り出す激しい取り口が身上であったが、相手の懐に潜り込んで相撲を取ることもあった[1]

主な成績

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  • 通算成績:157勝165敗14休 勝率.488
  • 十両成績:97勝127敗 勝率.433
  • 現役在位:32場所
  • 十両在位:16場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1950年1月場所)
    • 序二段優勝:1回(1945年11月場所)

場所別成績

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美楯山 海一郎
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1942年
(昭和17年)
(前相撲) x (前相撲) x
1943年
(昭和18年)
西序ノ口30枚目
6–2 
x 東序二段37枚目
4–4 
x
1944年
(昭和19年)
西序二段25枚目
4–4 
x 東序二段15枚目
3–2 
西三段目37枚目
1–4 
1945年
(昭和20年)
x x x 東序二段
優勝
5–0
1946年
(昭和21年)
x x 国技館修理
のため中止
西三段目6枚目
6–1 
1947年
(昭和22年)
x x 東幕下16枚目
3–2 
東幕下8枚目
4–2 
1948年
(昭和23年)
x x 東十両15枚目
5–6 
西幕下筆頭
5–1 
1949年
(昭和24年)
西十両8枚目
2–1–10 
x 西十両12枚目
7–8 
西十両13枚目
5–10 
1950年
(昭和25年)
西幕下筆頭
優勝
12–3
x 西十両8枚目
5–10 
西十両13枚目
8–7 
1951年
(昭和26年)
東十両9枚目
9–6 
x 西十両4枚目
4–11 
西十両9枚目
10–5 
1952年
(昭和27年)
東十両2枚目
8–7 
x 東十両2枚目
3–12 
東十両7枚目
7–8 
1953年
(昭和28年)
西十両8枚目
9–6 
西十両3枚目
5–10[2] 
東十両11枚目
4–11 
西十両19枚目
6–9 
1954年
(昭和29年)
東幕下筆頭
4–4 
東幕下筆頭
3–5 
東幕下6枚目
引退
0–4–4
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 田上 茂(たのかみ しげる)1942年1月場所 - 1945年11月場所
  • 美楯山 茂(みたてやま しげる)1946年11月場所 - 1951年9月場所
  • 美楯山 海一郎(みたてやま かいいちろう)1952年1月場所 - 1954年5月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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  1. ^ 相撲人名鑑(美楯山 海一郎)
  2. ^ 扁桃腺炎により14日目、千秋楽不戦敗

関連項目

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外部リンク

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