美楯山海一郎
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美楯山 海一郎(みたてやま かいいちろう、1925年7月20日 -没年不明 )は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は樋下 茂(ひのした しげる)(旧姓田上)。岩手県盛岡市出身。174cm、77kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、上手投げ。
経歴
[編集]1942年1月場所に初土俵。1948年5月場所に十両昇進。十両を16場所務め、十両上位に顔を出すこともあった。1954年5月場所に28歳で廃業した。力強さと粘り強さを活かして右四つから攻めたり、上手投げを繰り出す激しい取り口が身上であったが、相手の懐に潜り込んで相撲を取ることもあった[1]。
主な成績
[編集]- 通算成績:157勝165敗14休 勝率.488
- 十両成績:97勝127敗 勝率.433
- 現役在位:32場所
- 十両在位:16場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1950年1月場所)
- 序二段優勝:1回(1945年11月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1942年 (昭和17年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1943年 (昭和18年) |
西序ノ口30枚目 6–2 |
x | 東序二段37枚目 4–4 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西序二段25枚目 4–4 |
x | 東序二段15枚目 3–2 |
西三段目37枚目 1–4 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | x | 東序二段 優勝 5–0 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 国技館修理 のため中止 |
西三段目6枚目 6–1 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 東幕下16枚目 3–2 |
東幕下8枚目 4–2 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 東十両15枚目 5–6 |
西幕下筆頭 5–1 |
||
1949年 (昭和24年) |
西十両8枚目 2–1–10 |
x | 西十両12枚目 7–8 |
西十両13枚目 5–10 |
||
1950年 (昭和25年) |
西幕下筆頭 優勝 12–3 |
x | 西十両8枚目 5–10 |
西十両13枚目 8–7 |
||
1951年 (昭和26年) |
東十両9枚目 9–6 |
x | 西十両4枚目 4–11 |
西十両9枚目 10–5 |
||
1952年 (昭和27年) |
東十両2枚目 8–7 |
x | 東十両2枚目 3–12 |
東十両7枚目 7–8 |
||
1953年 (昭和28年) |
西十両8枚目 9–6 |
西十両3枚目 5–10[2] |
東十両11枚目 4–11 |
西十両19枚目 6–9 |
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1954年 (昭和29年) |
東幕下筆頭 4–4 |
東幕下筆頭 3–5 |
東幕下6枚目 引退 0–4–4 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 田上 茂(たのかみ しげる)1942年1月場所 - 1945年11月場所
- 美楯山 茂(みたてやま しげる)1946年11月場所 - 1951年9月場所
- 美楯山 海一郎(みたてやま かいいちろう)1952年1月場所 - 1954年5月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ 相撲人名鑑(美楯山 海一郎)
- ^ 扁桃腺炎により14日目、千秋楽不戦敗
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 美楯山 海一郎 - 相撲レファレンス