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美濃部又五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
美濃部 又五郎
時代 江戸時代後期
生誕 文政2年(1819年
死没 慶応元年10月25日1865年12月12日
改名 茂定、亨
別名 新蔵、真久蔵、又五郎
官位 贈正五位
主君 徳川慶篤
水戸藩側用人
父母 美濃部茂政、中村良次の女
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美濃部 又五郎(みのべ またごろう)は、幕末武士常陸国水戸藩側用人として藩主慶篤を支えた。墓は江林寺墓地(祇園寺)

経歴

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名は茂定、後に亨[1]文政2年(1819年)、常陸国にて美濃部茂政の長男として生まれる[1]嘉永3年(1850年)に家督を相続[1]文久元年(1861年)、水戸藩と長州藩の連携を図る[1]。同3年(1863年)、側用人に昇進[1]元治元年(1864年)に起こった天狗党の乱では、田丸稲之衛門らの説得を図っている。水戸藩で諸生党が実権を握ると捕えられる。慶応元年10月25日1865年12月12日)、刑死した[1]。47歳没。大正4年(1915年)、正五位を贈られた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『明治維新人名辞典』,964頁
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.36

参考文献

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  • 『明治維新人名辞典』日本歴史学会編、吉川弘文館、1981年。

関連項目

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