羽咋七塚
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羽咋七塚(はくいななつか)は、石川県羽咋市にある7つの塚の総称。
いずれも第11代垂仁天皇の第十皇子・磐衝別命(石衝別王)に関係が深く、磐衝別命とその子孫が当地を治めたという伝承に由来する。そのうち2つの塚は、宮内庁により管理されている[1]。
七塚一覧
[編集]- 大塚(おおつか)
- 大谷塚(おおたにづか)
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- 宮内庁名:磐城別王墓[1]
- 別称:王児塚、観音塚
- 所在地:川原町(北緯36度53分49.09秒 東経136度46分49.29秒 / 北緯36.8969694度 東経136.7803583度)
- 被葬:磐城別王(磐衝別命の子)
- 長さ45m、高さ7mの円墳。初めは70mほどの前方後円墳であったのが削り取られた、もしくは大塚と一体でその前方部であった、とも伝えられる。
- 水犬塚(みずいぬづか)
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- 別称:三犬塚、薬師塚
- 「薬師塚」:少彦名神社の神体が薬師如来であったことに由来。
- 所在地:川原町(北緯36度53分52.36秒 東経136度46分51.30秒 / 北緯36.8978778度 東経136.7809167度)
- 被葬:三匹の犬と怪鳥
- 領民を苦しめる怪鳥を磐衝別命が射落とし、三犬が噛み殺したと伝えられる(「羽咋」の地名の由来)[2]。現在は少彦名神社が鎮座し、削られていて大きさは不明。
- 別称:三犬塚、薬師塚
- 宝塚(たからづか)
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- 別称:稲荷山
- 「稲荷山」:稲荷家(羽咋の古代豪族)の墓に由来。
- 所在地:川原町(北緯36度53分53.85秒 東経136度46分50.77秒 / 北緯36.8982917度 東経136.7807694度)
- 被葬:磐衝別命の遺品・埴輪、または羽咋弥公(磐衝別命子孫)とも
- 円墳で、四方・頂上部が削り取られている。
- 別称:稲荷山
- 姫塚(ひめづか)
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- 所在地:川原町(北緯36度53分48.93秒 東経136度46分59.62秒 / 北緯36.8969250度 東経136.7832278度)
- 被葬:三足比咩命(みたらしひめのみこと、磐衝別命の妃)
- もとは現在地の東方に直径約20mの円墳としてあったが、七尾線開通に伴い移転。頂上にあった三俵苅社は羽咋神社に合祀され、石像も羽咋弥公の墓に移された。
- 剣塚(つるぎづか)
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- 所在地:川原町(北緯36度53分45.67秒 東経136度46分59.51秒 / 北緯36.8960194度 東経136.7831972度)
- 被葬:磐衝別命の剣
- 七尾線開通前は塚周辺に「八幡の森」と呼ばれる森があった。八幡の森は磐衝別命の屋敷跡または羽咋神社の元宮と伝えられる。
- 痛子塚(いたごづか)
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- 別称:板子塚、皇子塚
- 「板子塚」:付近の地名に由来。
- 所在地:東川原町(北緯36度53分45.24秒 東経136度47分11.59秒 / 北緯36.8959000度 東経136.7865528度)
- 被葬:磐衝別命の娘
- 三足比咩命(磐衝別命の妃)が病気になった時、悲しみのあまり死去した王女の墓とされる。古くは直径25mほどの円墳であったとされるが、現在は1本の松が立つのみである。
- 別称:板子塚、皇子塚
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 現地案内板
- 『日本歴史地名大系 石川県の地名』(平凡社)羽咋市 羽咋神社項