耶律大悲奴
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耶律大悲奴(やりつ だいひど、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家・軍人。字は休堅。
経歴
[編集]王子班聶里古の末裔。咸雍8年(1072年)、漢人行宮都部署に上った。太康元年(1075年)、始平軍節度使となった。太康年間に永興延昌宮使・右皮室詳穏を歴任した。阻卜が反抗すると、道宗の命を受けて帰順させる工作にあたった。寿昌元年(1075年)、右夷離畢に任じられた。寿昌2年(1096年)、殿前都点検となった。乾統初年、上京留守・惕隠を経て、再び殿前都点検となり、西南面招討使に転じた。老年のため引退を願い出たが、許可されなかった。
天慶年間、再び上京留守をつとめ、北南枢密院点検中丞諸司等事を領した。天慶5年(1115年)、耶律章奴が反乱を起こすと、大悲奴は蕭陶蘇斡とともに上京の防衛にあたった。彰国軍節度使として致仕し、死去した。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻95 列伝第25