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耶律特麼(やりつ とくま、生没年不詳)は、遼(契丹)の軍人・政治家。
季父房の末裔。重熙年間、北剋となり、奚六部禿里太尉に累進した。
太安4年(1088年)、倒塌嶺節度使となった。ほどなく禁軍都監となった。この年の冬、磨古斯を討ち、2000人あまりを斬首した。太安10年(1094年)、再び磨古斯を討った。凱旋すると、南院宣徽使に任じられた。寿昌元年(1095年)、北院大王となった。寿昌4年(1098年)、知黄龍府事となり、死去した。