出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
耶律胡呂(やりつ こりょ、生没年不詳)は、遼(契丹)の軍人。字は蘇撒。弘義宮(算オルダ)の出身。
迭烈部夷離菫耶律欲穏の末裔。左監門衛大将軍の耶律楊五の子として生まれた。重熙末年、寝殿小底に補任された。千牛衛大将軍に転じた。太安10年(1094年)、北阻卜の首長の磨古斯が反抗すると、胡呂は招討都監となり、耶律那也とともに精鋭の騎兵2000を率いて磨古斯を討ち、反乱を鎮圧した。功績により漢人行宮副部署・知太和宮事となった。後に致仕すると、同中書門下平章事の位を加えられ、死去した。