耶律諧理
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耶律諧理(やりつ かいり、生年不詳 - 1026年)は、遼(契丹)の軍人。字は烏古隣。契丹突挙部の出身。
経歴
[編集]統和4年(986年)、北宋の楊業らが山西に進攻してくると、諧理は耶律斜軫の下で先鋒をつとめ、偵察に功績を挙げた。この年、契丹が北宋を攻撃すると、宋軍が滹沱河で抗戦をはかったため、諧理は精鋭の騎兵を率いて先に渡河し、宋将の康保威を捕らえた。功績により代々節度使の選に与るよう命じられた。
太平元年(1021年)、突挙部節度使に転じた。太平6年(1026年)、蕭恵の下で甘州を包囲攻撃したが、勝利できなかった。阻卜が三剋軍を包囲したため、諧理は都監の耶律涅魯古とともに救援におもむいた。可敦城の西南で遭遇戦となり、流れ矢に当たって死去した。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻85 列伝第15