聞世震
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聞 世震 | |
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生年月日 | 1940年1月 |
出生地 | 満洲国 奉天省海城県 |
没年月日 | 2021年7月27日 (81歳没) |
死没地 | 中国 北京市 |
出身校 | 大連理工大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
遼寧省人民代表大会常務委員会主任 | |
在任期間 | 2003年1月 - 2005年2月 |
在任期間 | 1997年8月 - 2004年12月 |
在任期間 | 1994年5月 - 1998年 |
聞 世震 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 聞 世震 |
簡体字: | 闻 世震 |
拼音: | Wén Shìzhèn |
和名表記: | ぶん せいしん |
聞 世震(ぶん せいしん、1940年1月 - 2021年7月27日)は、中華人民共和国の官僚・政治家。元遼寧省人民政府省長、中国共産党遼寧省委員会書記、遼寧省人民代表大会常務委員会主任[1]。第11期全国人民代表大会代表。中国共産党第15期、第16期中央委員会委員。中国共産党第19回全国代表大会代表。第10回全国人民代表大会常務委員会委員。満州国奉天省海城県出身。
経歴
[編集]1940年1月、満州国奉天省海城県で生まれる。瀋陽市第五高等学校を経て、1965年、大連工学院機械製造学科を卒業。大学卒業後、国立の大連オイルポンプのノズル工場に勤務する。以後、技術員、設計科副科長、技術協会副主任、副総工程師、副場長、場長を歴任した。1979年12月に中国共産党入党。
1982年、大連市機械工業局副局長に就任。翌年、遼寧省機械工業庁副庁長に就任。1985年、遼寧省人民政府省長助理に昇格[2]。1986年、中国共産党遼寧省委員会副書記兼遼寧省人民政府副省長に就任[2]。1994年5月、遼寧省人民政府省長に昇格[2]。1997年8月、顧金池の後任として、遼寧省党委委員会書記に任命された[2]。2003年1月、遼寧省人民代表大会常務委員会主任に就任[2]。
2005年2月、中央に移り、全国人民代表大会財政経済委員会副主任委員(次官)に就任[2]。
2021年7月27日、北京市で病気のため死去した[2][3]。81歳[2]。
出典
[編集]- ^ 藤田洋毅 (2012年7月6日). “薄熙来の「紅い王朝」(下)軋轢が招いた「挫折」と独立王国での暴走”. 新潮社 2021年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “遼寧省委原書記聞世震同志逝世” (中国語). qq.com. (2021年7月29日) 2021年7月29日閲覧。
- ^ 朱暁航 (2021年7月29日). “遼寧省委原書記聞世震同志逝世、享年81” (中国語). ce.cn 2021年7月29日閲覧。
官職 | ||
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先代 岳岐峰 |
遼寧省人民政府省長 1994年–1998年 |
次代 張国光 |
党職 | ||
先代 顧金池 |
中国共産党遼寧省委員会書記 1997年–2004年 |
次代 李克強 |
議会 | ||
先代 王懐遠 |
遼寧省人民代表大会常務委員会主任 2003年–2005年 |
次代 李克強 |