コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

肝付兼固

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

肝付 兼固(きもつき かねかた、生没年不詳)は、戦国時代武将大隅国肝付氏の庶流。受領名越前。父は肝付兼光。弟に兼恒

略歴

[編集]

文明15年(1483年)、父・兼光が没すると家督を継いだ。兼固は島津忠昌から姶良郡溝辺三十町を与えられ、文明16年(1486年)、兼固ら一族はそれまでの所領・大崎から溝辺に移住した際に、瑞泉山心慶寺(ずいせんざんしんけいじ)を建立した[1]

その後、兼固の子・兼演島津氏の家老となり、加治木に移る。

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 霧島市『広報きりしま VOL.14』、20頁