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股旅グラフィティ さらば渡り鳥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「股旅グラフィティ さらば渡り鳥」
橋幸夫シングル
B面 全日本こども音頭 金太が一番
リリース
ジャンル 演歌
時間
レーベル ビクター(SV-6310)
作詞・作曲 阿久悠(作詞)
吉田正(作曲)
橋幸夫 シングル 年表
浅草人情
(1977年2月25日)
股旅グラフィティ さらば渡り鳥
(1977年)
泥んこ
(1978年3月25日)
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「股旅グラフィティ さらば渡り鳥」は、1977年10月25日に ビクターより発売された橋幸夫の134枚目のシングルである(SV-6310)。

概要

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  • 潮来笠」でデビューした橋幸夫は、多くの股旅物を発表し、初期には1年に複数枚股旅物をリリースしたが、1970年前後から、股旅物は年1枚程度と減少している。特に、これまでの股旅楽曲の多くを作詞していた、明治生まれの恩師佐伯孝夫が老齢化し、新作が困難な状況となる中、作詞家阿久悠と組んでピンク・レディを世に送り出したビクターディレクター飯田久彦によって、「新しい作家による股旅物」が企画された[1]
  • 飯田から「阿久さんが、とても股旅物に興味がある、吉田先生や私(橋)と組んでぜひやってみたい」[1]と橋に伝えられ、これが契機で、オリジナルアルバム「股旅グラフィティ」が制作された。
  • アルバムには、従来の佐伯作詞の股旅物をアレンジを変えて収録するとともに、新作股旅物が6曲含まれており、そのA面の1曲めが本作「股旅グラフィティ さらば渡り鳥」で、阿久が橋の股旅物を手がけたのは、これが最初である。作曲は阿久の希望通り、橋の恩師吉田正が手がけた。
  • 橋は「阿久悠さんが、(楽曲制作のために)本当にしゃかりきに考えてくれました」と述懐している[1]
  • なお、橋と阿久は、本作より5年前に「何処へ」ですでに共演している。
  • アルバム発売の1ヶ月前に、本作はシングルカットされ先行発売となった。
  • c/wは「全日本こども音頭 金太が一番」が、同じく阿久悠作詞、吉田正作曲である。ちょうどピンク・レディが売り出し中であり、歌詞の中に「ペッパー警部」や「S・O・S」が登場する。

収録曲

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  1. 股旅グラフィティ さらば渡り鳥
    作詞:阿久悠、作・編曲:吉田正
  2. 全日本こども音頭 金太が一番
    作詞:阿久悠、作曲:吉田正、編曲:寺岡真三

共演

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  • コーラス/若草児童合唱団(全日本こども音頭 金太が一番)

収録アルバム

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  • オリジナルアルバム「股旅グラフィティ」からのシングルカット曲であるため、当該アルバムに収録されている。
  • CDでのベストアルバムやCD-BOXへの収録はない。

出典

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  1. ^ a b c 橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 107頁