胸叩
胸叩、または胸叩き、胸敲(むねたたき)は、中世・近世(12世紀 - 19世紀)の日本に存在した民俗芸能、大道芸の一種であり、およびそれを行う者である[1][2][3]。物乞いの一種であるとされ、歳末に上半身裸で胸を叩き「祝い言」を叫ぶという門付をして、金品を得た[1][2]。一種の予祝芸能である。冬の季語[4]。
略歴・概要
[編集]「胸叩」は、上半身裸の人物が、自らの手で自らの胸を叩き、騒がしく叫びながら民家等をめぐり歩く、という芸能である[5]。『絵巻物と民俗』の五来重によれば、そもそも「胸叩」は「山伏の苦行」の姿であるという[6]。
室町時代、15世紀末の1494年(明応3年)に編纂された『三十二番職人歌合』の冒頭には、「いやしき身なる者」として、「鉦叩」とともに「胸たたき」(胸叩)として紹介され、粗末な編笠を被り無精髭を生やし、上半身裸で地面に座り込む姿が描かれている[3]。この歌合に載せられた歌は、
- 宿ごとに 春まゐらむと ちきりしは 花のためなる むなたゝきかな
というもので、門付で訪れる家々で「春まゐらむ」(「春が来るだろう」の意)と予祝して回る「胸叩」を歌っている[7]。五来重によれば、この時期の「胸叩」は、本来の「山伏の苦行」であることが忘れられてしまっている段階である、という[6]。同歌合に描かれる腰につけた容器状のものは「餌畚」(えふご、鷹狩の際に鷹の餌や弁当を入れる容器)である[7]。
『国史大辞典』(吉川弘文館)では「胸叩」を「節季候」(せきぞろ)とイコールであるとし、『日本国語大辞典』(小学館)では「節季候の類」としている[4]。確かに「胸叩」の唱える「祝い言」に「節季候」があるが、「節季候」の芸能者たちはみな覆面をしており、衣裳・装束、人数編成等も大きく異なっている[8][9]。『日本国語大辞典』によれば、「胸叩」は、歳末の物乞いの一種で、胸を叩き「節季候」と唱えながら門付をし、金品を乞う者であるとする[4]。『郷土史大辞典』も、中世の「胸叩」が戦国時代・江戸時代の「節季候」の前身であろうと記述している[10]。「節季候」は、近世になって登場したが、歳末に上半身裸で胸を叩く「胸叩」は、近世になっても「節季候」と平行して続いており[8][9]、「胸叩=節季候の前身」説は、「胸叩」の大道芸、正月に手を叩く祝言芸との混同ではないかという指摘もある[11]。
江戸時代(17世紀 - 19世紀)に入り、「胸叩」の門付は盛んに行われた[1]。「胸叩」たちの芸のうちから起きた俗謡に『浮世叩』(うきよたたき)がある[12][13]。江戸時代にあって、「浮世叩」とは、編笠を被り扇で拍子をとり、俗謡『浮世叩』を歌いながら行う門付、およびそれを行う者の呼称にもなった[12][13][14]。17世紀に現れた芸能集団「乞胸」の先駆的形態が「胸叩」である、とされる[15]。「乞胸」となった者たちは、そもそも武士階級であった浪人であり、慶安年間(1648年 - 1651年)に「町人階級」(職人・商人)に下げられた上で、非人頭車善七の支配下に入った[15][16]。1871年(明治4年)、「乞胸」の名称は廃止となった[16]。
脚注
[編集]- ^ a b c 胸叩き、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 胸叩き、大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 小山田ほか、p.142.
- ^ a b c 『胸叩』 - Yahoo!百科事典、2012年9月11日閲覧。
- ^ 岩崎、p.32.
- ^ a b 五来、p.251-252.
- ^ a b 阿部、p.122-123.
- ^ a b 世界大百科事典 第2版『節季候』 - コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 百科事典マイペディア『節季候』 - コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ 郷土史、p.985.
- ^ 京都、p.61.
- ^ a b 『浮世叩』 - Yahoo!百科事典、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 第2巻、p.529.
- ^ 大辞林 第三版『浮世叩き』 - コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 世界大百科事典 第2版『乞胸』 - コトバンク、2012年9月11日閲覧。
- ^ a b 書評・乞胸 江戸の辻芸人、野口武彦、アサヒコム、2012年9月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本奴隷史』、阿部弘蔵、聚芳閣、1926年
- 『日本国語大辞典』第2巻、日本大辞典刊行会編、小学館、1972年12月(初版)
- 『絵巻物と民俗』、五来重、角川選書127、角川書店、1981年9月
- 『職人歌合 - 中世の職人群像』、岩崎佳枝、平凡社選書、平凡社、1987年12月 ISBN 4582841147
- 『近世の民衆と芸能』、京都部落史研究所、阿吽社、1989年4月30日 ISBN 4900590177
- 『江戸時代の職人尽彫物絵の研究 - 長崎市松ノ森神社所蔵』、小山田了三・本村猛能・角和博・大塚清吾、東京電機大学出版局、1996年3月 ISBN 4501614307
- 『郷土史大辞典』、歴史学会、朝倉書店、2005年6月25日 ISBN 4254530137
- 『乞胸 江戸の辻芸人』、塩見鮮一郎、河出書房新社、2006年7月15日 ISBN 4309224547