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膳司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

膳司(ぜんし/かしわでのつかさ)は日本の律令官制における役所の一つ。後宮十二司の一つであり、女官のみによって構成される。試食、および御膳、酒醴、餅、果蔬などを担当した。

概要

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尚膳(かしわでのかみ)1名、典膳(かしわでのすけ)2名、掌膳(かしわでのまつりごとひと)の四等官制で構成されており、采女60人を擁していた[1]

職掌は以下の通りである。

  1. 御膳を知ること。
  2. 進食に際して先嘗(毒味)をすること、
  3. 膳羞(ぜんしゅう、おいしい料理、ご馳走)、酒醴(しゅれい、酒と甘酒)、諸々の餅、蔬(くさびら、野菜類)、果(果物、木の実)を惣摂する(すべ治める)

これはほぼ内膳司の奉膳に準じている。ただし、内膳司には3.の酒醴、餅、蔬の記載は存在しておらず、餅は大膳職の職掌に[2]、酒醴は造酒司の職掌にある[3]

尚膳

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尚膳は唐の後宮の尚食に相当する。禄令9の給録の規定では、正四位に準ぜられており、後宮十二司の中では縫司の尚縫とともに、蔵司の長官尚蔵の「正三位に準ず」につぐ地位であった。また中務省式の馬料支給の規定では、正三位に準ずるという尚蔵、従三位に準ずるという尚侍につぐ、従四位に準ずる地位でもあった。

天平神護3年正月の従三位小長谷女王宝亀5年7月には従三位藤原家子(『続日本紀』)、弘仁6年5月に従三位永原恵子(『日本後紀』)、貞観元年10月に従三位広井女王、同18年11月に従五位上藤原元子(『日本三代実録』)が正史に記載されており、三位以上のものが多いが、9世紀半ば以降には五位のものも現れており、地位の低下が見られる。

脚注

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  1. ^ 『後宮職員令』13条「膳司条」
  2. ^ 『職員令』40条「大膳職条」
  3. ^ 『職員令』47条「造酒司条」

参考文献

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  • 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年