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自由ブロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自由ブロック
ビルマ語の名称 ဗမာ့ထွက်ရပ်ဂိုဏ်း
総裁 バー・モウ
解散 1944
合併元 タキン党
貧民党
Htwet Yat Gain
後継政党 大ビルマ党
ビルマ(現 ミャンマー)の政治
ビルマ(現 ミャンマー)の政党一覧
ビルマ(現 ミャンマー)の選挙

自由ブロック(Freedom_Bloc)は、のちにドバマ・シニェサ・アシアヨネとして知られるようになる、第二次世界大戦中に結成されたビルマの政党である。

歴史

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ドバマ・アシアヨネ(タキン党、DAA)、バー・モウ貧民党および全ビルマ学生連盟、"Htwet Yat Gain" (ビルマ語: ထွက်ရပ်ဂိုဏ်း)が合併して設立された[1]。また、DAAの指導者は、同時に、秘密裏にビルマ人民革命党を結成した[2]。戦後すぐにビルマの独立が保証されない限り、イギリスの戦争に協力することに反対し、反英・反戦キャンペーンを強化すると脅した。その結果、イギリスのビルマ総督はブロックの指導者たちの逮捕を命じ、彼らのほとんどは1942年の日本軍の侵攻まで獄中にあった。

日本占領が始まると、枢軸国日本の存在を考慮して、党はドバマ・シニェサ・アシアヨネと改名され、反ファシストと社会主義の綱領を取り下げた。バー・モウは国家元首となり、改名後の党の指導者となった.[2]

1944年に党は解散し、代わって大ビルマ党が結成された[2]

脚注・参考文献

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  1. ^ Haruhiro Fukui (1985) Political parties of Asia and the Pacific, Greenwood Press, p130
  2. ^ a b c Fukui, p129