臼井十郎
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臼井 十郎(うすい じゅうろう、生没年不詳)は、鎌倉時代の武将。上総介広常の甥。諱は不祥。
人物
[編集]建暦3年(1213年)2月16日、泉親衡の乱に加わった[1]。印旛郡臼井(佐倉市臼井)の地を領したと考えられる。
出自に関しては不明なことが多く、上総介広常の弟とされる臼井親常(十郎)の子であると思われるが[2][3]、親常は弟ではなく甥であり、親常こそが謀反に加担した甥の十郎であるとも考えられる。また、上総介広常の妹の子と考えられる臼井常俊(十郎)に比定する説もある[4]。
脚注
[編集]- ^ 『中世東国武士団の研究』 1994, p. 379.
- ^ 『史苑第1巻』 1928, p. 563.
- ^ 野口実 2000, p. 192.
- ^ “臼井氏”. 2022年10月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『中世東国武士団の研究』(高科書店、1994年、379p)
- 『史苑第1巻』(立教大学史学会、1928年、563p)
- 野口実『千葉氏の研究』(名著出版 、2000年、192p)