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舞伝男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

舞 伝男(傳男、まい でんお、1885年明治18年)6月20日[1][2] - 1974年昭和49年)10月15日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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大分県出身[1][2][3]。農業・舞多十郎の息子として生まれる[1]。竹田中学校(現大分県立竹田高等学校)を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業[1][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第47連隊付となる[1][4]。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を卒業し歩兵第47連隊中隊長に就任[1][3]

以後、参謀本部付勤務、参謀本部員、陸大教官兼参謀本部員、イギリス出張などを経て、1931年(昭和6年)8月、歩兵大佐に昇進し陸大教官に就任[1][3]

1933年(昭和8年)3月、歩兵第9連隊長に就任し、第1師団参謀長を経て、1936年(昭和11年)3月、陸軍少将に進級し第1師団司令部付となる[1][2][3]。その後、留守第1師団司令部付、歩兵第22旅団長、関東軍野戦鉄道司令官、兼第2野戦鉄道司令官を経て、1939年(昭和14年)3月、陸軍中将に進み新設の第36師団長に親補され、日中戦争に出征した[1][2][3]。1940年(昭和15年)8月、参謀本部付となり、翌月、待命となり予備役に編入された[1][2][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

親族

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  • 長男 舞敏方(陸軍少佐、陸将)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸海軍総合事典』第2版、144頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』660頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』243頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』238、243頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。