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舟橋清賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
舟橋清賢
ふなばし きよかた
ふなはし きよかた
生年月日 1891年12月2日
没年月日 (1967-11-26) 1967年11月26日(75歳没)
出身校 京都帝国大学法科大学法律学科卒業
前職 日本銀行行員
所属政党 研究会
配偶者 舟橋正
親族 父・舟橋遂賢(貴族院議員)

在任期間 1925年7月10日 - 1946年5月9日
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舟橋 清賢(ふなばし[1] / ふなはし[2] きよかた、1891年明治24年)12月2日[2] - 1967年昭和42年)11月26日[1][2])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員

経歴

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子爵舟橋遂賢の長男として生まれる[2][3]。父の死去に伴い、1924年(大正13年)2月15日に子爵を襲爵した[2][3][4]

1917年(大正6年)7月、京都帝国大学法科大学法律学科を卒業[1][3][5]。同年、日本銀行に入行した[1][3]

1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]研究会に所属して活動し、1946年(昭和21年)5月9日に辞職するまで三期在任した[1][8]。その他、岡田内閣司法参与官米内内閣文部政務次官戦時金融金庫監事、司法制度調査委員会委員、育英制度創設準備協議会委員などを務めた[1][3]

親族

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  • 妻:正(しょう、野崎続太郎二女)[2]
  • 長男:明賢[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』53頁。
  2. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』下巻、461-462頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、フ88頁。
  4. ^ 『官報』第3443号、大正13年2月18日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正6年 至大正7年』京都帝国大学、1918年、320頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  7. ^ 『官報』第3869号、大正14年7月16日。
  8. ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
舟橋遂賢
子爵
舟橋家第2代
1924年 - 1947年
次代
華族制度廃止