船木謙一
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(舩木謙一から転送)
船木 謙一 | |
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生誕 | 1940年 |
死没 | 1975年12月15日 |
ジャンル | ポップス・歌謡曲・演歌 |
職業 | 作曲家・編曲家 |
活動期間 | 1969年 - 1975年(?) |
共同作業者 | 鈴木淳、藤本卓也 |
船木 謙一(ふなき けんいち)は、日本の作曲家、編曲家である。舩木 謙一と記されているケースもある[1]。
来歴・人物
[編集]1969年(昭和44年)頃から、ビクターレコード(日本ビクターの音楽部門、現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)を中心に編曲家として活動する。
1975年(昭和50年)、輪島功一のシングル『涙の中から』や大谷ひで子『着たきりすずめ』、冠二郎『忘却の旅』等の編曲を最後に、本名義での活動がみられなくなる。 1975年12月15日、死去した。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の公式ウェブサイトによれば、船木は同協会の信託作家ではない[2]。
おもな楽曲
[編集]特筆以外はシングル、編曲作品、提供先の歌手名の50音順による一覧である。JASRACには2017年5月現在、5曲の作曲作品が登録されている[2]。
- 青江三奈
- 『昭和おんなブルース』(作詞なかにし礼、作曲花礼二、1970年発売) - 第12回日本レコード大賞作詩賞受賞曲
- 梓みちよ
- 安倍律子
- アン真理子
- 榎本美佐江
- 大谷ひで子
- 大津美子
- 冠二郎
- 西城浩二
- 『はじめてだから』(作詞山口洋子、作曲藤本卓也、1971年発売)
- 沢リリ子
- 『ひとりぼっちのはやり唄』(作詞西山正清、作曲小沢真与志)
- 三条アンナ
- 『第一章・涙』(作詞サトウ・ハチロー、作曲寺岡真三、1969年11月発売)
- 『第二章・祈り』(作詞サトウ・ハチロー、作曲三条アンナ、1970年5月発売)
- 『女は生まれて恋に死ぬ』(作詞・作曲みなみらんぼう、1970年11月発売)
- 純エリ子(藍美代子)
- 杉本美樹
- 田村ひろみ
- 原みつるとシャネル・ファイブ
- ザ・ブレッスン・フォー
- 『トリプルファイターの歌』(作詞東京一、作曲宮内国郎、1972年発売)
- 別所夏子
- 『甘い関係』
- 真樹エリ子
- 『アカシヤの花咲く北国の街』(作詞青木久子、作曲彩木雅夫、1972年発売)
- 『そして』(1972年発売)
- 麻里圭子
- 『ケンタウロスの子守唄』(作詞筒井康隆、作曲山下洋輔)
- 『ぼくのうちのロボット君』(作詞真鍋博、作曲宇野誠一郎)
- 『宇宙サーカス団』(作詞真鍋博、作曲宇野誠一郎)
- 『アンタレス星人のうた』(作詞筒井康隆、作曲山下洋輔)
- 三田明
- 『振り返ってみたけれど』(作詞山口洋子、作曲藤本卓也、1970年12月発売)
- 森本和子
- 輪島功一