船坂与兵衛
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船坂与兵衛 ふなさか よへい | |
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生年月日 | 1857年4月1日 |
出生地 |
日本 飛騨国吉城郡瓜巣村 (現岐阜県高山市国府町) |
没年月日 | 1914年10月13日(57歳没) |
前職 | 学務委員 |
所属政党 | 中央交渉会 |
選挙区 | 岐阜県第7選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1892年2月 - 1893年12月30日 |
吉城郡会議員 | |
船坂 与兵衛(與兵衛、ふなさか よへい、1857年4月1日(安政4年3月7日[1]) - 1914年(大正3年)10月13日[2])は、明治時代の政治家。神職。殖産家。衆議院議員。本名・真楫(まかじ)、初名・永胤、通称・与兵衛、号:鉄壁・水松園・櫟園[1]。
経歴
[編集]飛騨国吉城郡瓜巣村[1]、のちの岐阜県吉城郡国府村(国府町を経て現高山市国府町)出身[3]。漢学を修める[2]。農業を営む[2]。
学校世話役、国府村副戸長、小学校訓導、荒城神社祠官、学務委員、岐阜県会議員、吉城郡会議員を歴任した[2]。ほか、国益社を創立し養蚕や植林事業に尽くした[2]。
1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では岐阜県第7区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。
著作
[編集]- 船坂真楫著、船坂楫夫編『檪園歌集 : 附・鉄壁詩稿』船坂与兵衛、1925年。
脚注
[編集]- ^ a b c 「船坂真楫」『飛騨人物事典』201頁。
- ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 1962, 435頁.
- ^ 衆議院事務局 1892, 12頁.
- ^ 児玉、藤田 1894, 121頁.
参考文献
[編集]- 『明治二十五年四月十五日調 衆議院議員名簿』衆議院事務局、1892年 。
- 児玉九峯、藤田桜鉄『濃飛名誉人物評 上』濃飛名誉会、1894年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 飛騨人物事典編集室編『飛騨人物事典』高山市民時報社、2000年。