良岑経世
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 貞観17年5月19日(875年6月25日) |
官位 | 従四位下・丹波守 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 良岑氏 |
良岑 経世(よしみね の つねよ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。官位は従四位下・丹波守。
経歴
[編集]天安2年(858年)従五位下・越前介に叙任されるが、同年の清和天皇の即位に伴って10月に少納言に転じ侍従を兼ねる。貞観2年(860年)従五位上。貞観6年(864年)正月に延暦寺座主・円仁が卒去した際に法印大和尚位を贈るために[1]、2月には安恵を次の座主に任命するために[2]、朝廷から延暦寺へ派遣される。貞観7年(865年)薬師寺の僧侶・壱演を権僧正とするために、参議・大江音人と共に西寺に派遣され宣制を行う[3]。貞観8年(866年)には応天門の変に伴う応天門の失火に関して報告を行うために、中納言・源融と共に田邑山陵(文徳天皇陵)に派遣されている[4]。
貞観9年(867年)正五位下・陸奥守に叙任されると、のち上野権介・丹波守と、清和朝後半は地方官を歴任した。
貞観17年(875年)5月19日卒去。最終官位は従四位下行丹波守。
『古今和歌集』に和歌作品が採録されている「良岑のつなねり」[5]を経世に比定する説もある[6]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天安2年(858年) 正月7日:従五位下。2月5日:越前介。10月26日:少納言
- 貞観元年(859年) 7月14日:見兼侍従
- 貞観2年(860年) 11月16日:従五位上
- 貞観9年(867年) 正月12日:陸奥守。3月26日:正五位下
- 貞観11年(869年) 3月4日:兼上野権介
- 時期不詳:従四位下、丹波守
- 貞観17年(875年) 5月19日:卒去(従四位下行丹波守)