芎林郷
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別称: 九芎林 | |
地理 | |
---|---|
位置 |
北緯24°47' 東経121°04' |
面積: | 40.7858 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 芎林郷 |
日本語読み: | きゅうりん |
拼音: | Qiōnglín |
注音符号: | ㄑㄩㄥ ㄌㄧㄣˊ |
片仮名転写: | チオンリン |
台湾語: | Kiong-nâ |
客家語: | Kiûng-lìm |
行政 | |
行政区分: | 郷 |
上位行政区画: | 新竹県 |
下位行政区画: | 12村135鄰 |
芎林郷長: | 莊雲嬌 |
公式サイト: | 芎林郷公所 |
情報 | |
総人口: | 20,256 人(2016年1月) |
世帯数: | 6,467 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 307 |
市外局番: | 03 |
芎林郷の木: | - |
芎林郷の花: | - |
芎林郷の鳥: | - |
芎林郷(チオンリン/きゅうりん-きょう)は、台湾新竹県の郷。
地理
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歴史
[編集]芎林郷は称開発される以前、九芎樹が茂り林を形成していたことから旧名を「九芎林」と称された。1775年、広東人の姜勝智、劉承豪らがこの地に入植したのが漢人による開発の先駆である。1785年前後になるとほかの広東人、福建人が次々と入植し、道光初年には相当の規模の農地が耕作されるに至った。
行政区として新台には新竹県竹塹堡東廂に帰属していたが、日本に依る統治が開始されると台北県新竹支庁竹北一堡、新竹州竹東郡芎林庄と改称された。戦後には初め新竹県竹東区芎林郷とされたが、1950年の地方制度改革で新竹県芎林郷と改称され、現在に至っている。
経済
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行政区
[編集]地区 | 村 |
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外七村 | 芎林村、新鳳村、中坑村、水坑村、文林村、下山村、上山村 |
内五村 | 華龍村、五龍村、秀湖村、永興村、石潭村 |
歴代郷長
[編集]期 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
官派 | 劉徳炃 | 1945年10月25日 | 1946年1月20日 |
官派 | 林棋業 | 1946年1月20日 | 1948年12月31日 |
官派 | 鄭見清 | 1949年1月1日 | 1951年6月30日 |
第1期 | 林棋業 | 1951年7月1日 | 1953年6月30日 |
第2期 | 林棋業 | 1953年7月1日 | 1956年6月30日 |
第3期 | 劉輝清 | 1956年7月1日 | 1959年12月31日 |
第4期 | 劉輝清 | 1960年1月1日 | 1964年2月29日 |
第5期 | 林棋業 | 1964年3月1日 | 1968年2月29日 |
第6期 | 林棋業 | 1968年3月1日 | 1973年3月31日 |
第7期 | 劉家固 | 1973年4月1日 | 1977年12月29日 |
第8期 | 葉紹欽 | 1977年12月30日 | 1982年2月28日 |
第9期 | 葉紹欽 | 1982年3月1日 | 1986年2月28日 |
第10期 | 黄隆盛 | 1986年3月1日 | 1990年2月28日 |
第11期 | 黄隆盛 | 1990年3月1日 | 1994年2月28日 |
第12期 | 鄭安治 | 1994年3月1日 | 1998年2月28日 |
第13期 | 林章秀 | 1998年3月1日 | 2002年2月28日 |
第14期 | 林政良 | 2002年3月1日 | 2006年2月28日 |
第15期 | 林政良 | 2006年3月1日 | 2010年2月28日 |
第16期 | 莊雲嬌 | 2010年3月1日 | 2014年12月25日 |
第17期 | 莊雲嬌 | 2014年12月25日 | 現職 |
教育
[編集]区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 1 | 大華技術学院 |
高中 | - | - |
高職 | - | - |
国中 | - | - |
国小 | - | - |
交通
[編集]種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
高速道路 | フォルモサ高速道路 | 竹林IC |
省道 | 台3線 | |
省道 | 台68線 | 東西向快速公路 南寮竹東線 |