花山院兼子
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花山院 兼子(かさんのいん かねこ、文安5年〈1448年〉 - 永正10年8月17日〈1513年9月16日〉)は、室町時代中期の女官で、後土御門天皇の宮人。贈太政大臣の花山院持忠の娘で、政長の姉に当たる。東御方・花山院上臈局と称した。
生涯
[編集]文安5年(1448年)花山院持忠の娘[1]として生まれた。足利義政の正室である日野富子に仕えた後、親王時代の後土御門天皇の寵愛を受けて宮中に上った。天皇との間には2皇女(保安寺宮・応善女王)と2皇子(仁尊法親王・法蓮院宮)を儲ける。初め東御方と呼ばれたが、文明11年(1479年)12月に今参の儀を行い[2]、正式に宮中に伺候する上臈となった。天皇が崩御した後の明応9年(1500年)10月13日に出家。間もなく従三位から従二位に叙され[3]、以後二位殿・二位禅尼と称した。 永正10年(1513年)8月17日に享年66で薨去した[4]。