花火 (1931年の映画)
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花火 | |
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監督 | 伊丹万作 |
脚本 | 伊丹万作 |
原作 | 伊丹万作 |
出演者 |
片岡千恵蔵 伏見信子 伏見直江 |
撮影 | 石本秀雄 |
製作会社 | 片岡千恵蔵プロダクション |
配給 | 日活 |
公開 | 1931年8月26日 |
上映時間 | 65分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『花火』(はなび)は、1931年(昭和6年)製作・公開、伊丹万作原作・脚本・監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画である[1][2][3][4]。伏見直江・伏見信子姉妹の共演作である[1][2][3][4]。
略歴・概要
[編集]伊丹自身の回想によれば、本作の脚本は、1927年(昭和2年)10月、満27歳のころ、旧制・愛媛県松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)時代の先輩である伊藤大輔宅の食客となった際に、伊藤に言われて「しかたなく」書いたオリジナルシナリオを映画化したものである[5]。当時の伊藤家の食客には、俳優の香川良介、脚本家の中川藤吉がおり、伊丹は同月内にもう1作『伊達主水』を書き、これがのちに『放浪三昧』(監督稲垣浩、1928年)の題で映画化された[5]。
主演の片岡千恵蔵は本作の公開当時は満27歳[6]、伏見直江・信子姉妹はともに日活太秦撮影所に所属しており[7][8]、それぞれ満22歳、満15歳であり、姉・直江は芸妓綾吉を、妹・信子は千恵蔵の妹役をそれぞれ演じた[9][10]。自らのオリジナルシナリオを演出した伊丹は、公開当時満31歳になっていた。
2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵していない[11][12]。大阪芸術大学は同作の「33秒」のフィルム断片を発掘、所蔵しているが、これ以外の部分については現存していない[13]。本作の脚本については、1961年(昭和36年)11月15日に発行された『伊丹万作全集 第3巻』(筑摩書房)の最初に収録されている[14]。
スタッフ・作品データ
[編集]- 製作 : 片岡千恵蔵プロダクション
- 上映時間(巻数 / メートル) : 65分(8巻 / 1,795メートル)[4] / 現存33秒[13]
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.37:1) - 18fps - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1931年8月26日(8月27日[4])
- 配給 : 日活
- 初回興行 : 浅草公園六区・富士館
- 同時上映 : 『嬢やの散歩街』(監督東坊城恭長、主演佐久間妙子)
キャスト
[編集]- 片岡千恵蔵 - 結城孫六
- 尾上宇多五郎 - 結城新兵衛(父・新兵衛[4])
- 伏見信子 - 結城ゆき江(妹・ゆきえ[4])
- 高木永二 - 安藤嘉平次
- 伏見直江 - 芸者綾吉(芸妓綾吉[4])
- 瀬川路三郎 - 家主七兵衛(家主吉兵衛[4])
- 葛木香一 - 別所吉左衛門
- 成松和一 - 木村英助
脚注
[編集]- ^ a b 花火 、日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
- ^ a b 花火、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月16日閲覧。
- ^ a b 花火、KINENOTE、2013年1月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 花火、日活データベース、2013年1月16日閲覧。
- ^ a b 私の活動写真傍観史、伊丹万作、青空文庫、2013年1月16日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『片岡千恵蔵』 - コトバンク、2013年1月16日閲覧。
- ^ 伏見直江 - 日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
- ^ 伏見信子 - 日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版『伏見直江』 - コトバンク、2013年1月16日閲覧。
- ^ 伏見信子、jlogos.com, エア、2013年1月16日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月16日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月16日閲覧。
- ^ a b 花火、大阪芸術大学、2013年1月16日閲覧。
- ^ 伊丹[1961], p.3.