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芳賀宇之吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芳賀 宇之吉(はが うのきち、1856年(安政3年2月[1][2]) - 1916年(大正5年)9月19日[1][2])は、明治から大正時代の政治家衆議院議員

経歴

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陸奥国信夫郡庭坂村福島県信夫郡庭坂村、大庭村、吾妻村、吾妻町を経て現福島市)に生まれる[2]。生家は代々豪農として知られた[2]

村会議員、郡会議員、同参事会員を経て、1894年(明治27年)福島県会議員に当選[2]。以降死去するまで県会に籍を置いた[2]

この間、常置委員、所得税調査委員、凶作特別委員、教育費特別委員に推挙され、1913年(大正2年)10月には警察費調査委員長、同年12月には県民大会実行委員長を歴任した[2]。ほか、福島電燈監査役を務めた[2]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では福島県第1区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]

著作

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  • 述『蚕糸要論』三盛堂、1890年。

脚注

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  1. ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 385頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福島県 1972, 395頁.

参考文献

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