芳賀茂元
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芳賀茂元 はが しげもと | |
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生年月日 | 1887年12月2日 |
出生地 |
日本 福岡県遠賀郡 (現福岡県北九州市) |
没年月日 | 1948年5月18日(60歳没) |
出身校 |
福岡県立東筑中学校卒業 (現福岡県立東筑高等学校) |
前職 | 九州土地相談役 |
現職 |
桜麦酒代表取締役 (現サッポロビール) 波多野鉄工所取締役 十七銀行監査役 (現福岡銀行) 弘文学舎理事長 芙蓉高等女学校理事長 |
在任期間 | 1932年3月8日 - 1932年9月28日 |
芳賀 茂元(はが しげもと、1887年(明治20年)12月2日[1] - 1948年(昭和23年)5月18日[2][注 1])は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧制専門学校経営者。前名は茂[3]。
経歴
[編集]芳賀善一郎の二男として福岡県遠賀郡(現北九州市)[1]に生まれ、芳賀善次郎の養子となり、1927年(昭和2年)前名を改め翌年家督を相続する[3]。福岡県立東筑中学校を卒業し、1909年(明治42年)八幡市役所に奉職する[2]。同市農会副会長、福岡県消防協会理事、九州土地相談役などを歴任する[2]。
のち、福岡県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1932年(昭和7年)3月8日[4][5]から同年9月28日まで在任した[2]。この間、同年ジュネーブで行われた第28回列国議会同盟会議やベルギーのオーステンデで行われた万国議院商事会議評議員会に出席した[2]。
1933年(昭和8年)桜麦酒代表取締役に就任し、波多野鉄工所取締役、十七銀行(現福岡銀行)監査役なども務めた[1]。1939年(昭和14年)財団法人弘文学舎(九州専門学校の母体[6])を設立した。1940年には1930年開校した九州法学校の流れをくむ九州専門学校[6]を戸畑市大字中原(現在の八幡東区八王寺町)に開校して理事長に就任した[1][7]。1944年(昭和19年)文部省命により九州専門学校が福岡高等商業学校(福岡大学前身校)に統合されたため、財団法人を解散して不動産の全てを福岡県に寄付した[1]。戦後、1946年(昭和21年)財団法人芙蓉高等女学校の理事長に就任した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『福岡大学75年の歩み 事典編』18頁では5月19日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 八幡大學史 - 大学開学30周年を記念して - 八幡大学史編纂委員会 執筆者 松隈清 1980年10月30日発行
- 福岡大学75年史編纂委員会編『福岡大学75年の歩み 事典編』福岡大学、2014年。