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芳賀茂元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芳賀茂元
はが しげもと
生年月日 1887年12月2日
出生地 日本の旗 日本 福岡県遠賀郡
(現福岡県北九州市)
没年月日 (1948-05-18) 1948年5月18日(60歳没)
出身校 福岡県立東筑中学校卒業
(現福岡県立東筑高等学校)
前職 九州土地相談役
現職 桜麦酒代表取締役
(現サッポロビール)
波多野鉄工所取締役
十七銀行監査役
(現福岡銀行)
弘文学舎理事長
芙蓉高等女学校理事長

在任期間 1932年3月8日 - 1932年9月28日
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芳賀 茂元(はが しげもと、1887年明治20年)12月2日[1] - 1948年昭和23年)5月18日[2][注 1])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員旧制専門学校経営者。前名は[3]

経歴

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芳賀善一郎の二男として福岡県遠賀郡(現北九州市[1]に生まれ、芳賀善次郎の養子となり、1927年(昭和2年)前名を改め翌年家督を相続する[3]福岡県立東筑中学校を卒業し、1909年(明治42年)八幡市役所に奉職する[2]。同市農会副会長、福岡県消防協会理事、九州土地相談役などを歴任する[2]

のち、福岡県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1932年(昭和7年)3月8日[4][5]から同年9月28日まで在任した[2]。この間、同年ジュネーブで行われた第28回列国議会同盟会議やベルギーオーステンデで行われた万国議院商事会議評議員会に出席した[2]

1933年(昭和8年)桜麦酒代表取締役に就任し、波多野鉄工所取締役、十七銀行(現福岡銀行)監査役なども務めた[1]。1939年(昭和14年)財団法人弘文学舎(九州専門学校の母体[6])を設立した。1940年には1930年開校した九州法学校の流れをくむ九州専門学校[6]戸畑市大字中原(現在の八幡東区八王寺町)に開校して理事長に就任した[1][7]。1944年(昭和19年)文部省命により九州専門学校が福岡高等商業学校(福岡大学前身校)に統合されたため、財団法人を解散して不動産の全てを福岡県に寄付した[1]。戦後、1946年(昭和21年)財団法人芙蓉高等女学校の理事長に就任した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『福岡大学75年の歩み 事典編』18頁では5月19日。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『福岡大学75年の歩み 事典編』18頁。
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 208頁.
  3. ^ a b 人事興信所 1937, ハ11頁.
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  5. ^ 『官報』第1555号、昭和7年3月9日。
  6. ^ a b 八幡大學史 八幡大学前史 九州専門学校の創立 16頁~17頁 学校法人八幡大学 1980年10月発行
  7. ^ 九州国際大学創立70年史 九州法学校開校 18頁~19頁 学校法人九州国際大学 2018年6月1日発行

参考文献

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