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若竹 笛躬(わかたけ ふえみ、生没年不詳)は、江戸時代中期の浄瑠璃作者[1]。
人形の方では若竹藤九郎と名乗り、宝暦期(1751 - 64)にすでに「当流の達人」「発明無類」と評される大立者で、明和3年(1766年)頃まで活躍[2]。難波三蔵の門下[2]。「岸姫松轡鑑」「摂州合邦辻」「伊達娘恋緋鹿子」ほか多数の作者連名に加わっている[2]。明和5年度には大坂の芝居三枡他人座の歌舞伎の作者でもあった[2]。「戯財録」では人形遣い若竹東工郎と同一人物としているが、経歴など不明な点が多い[1]。初代、2代の二人説もある[1]。