コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

英子女王 (徳川斉明正室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

英子女王(ひでこじょおう、1808年文化5年6月19日) - 1857年安政4年4月26日))は、江戸時代後期の女性。清水徳川家4当主・徳川斉明正室。幼称は教宮(みちのみや)。院号は恭真院

生涯

[編集]

伏見宮貞敬親王の第4王女として生まれる。1817年文化14年9月27日)、9歳のときに清水徳川家4代当主・徳川斉明と婚約する[1]

1821年文政4年9月19日)、清水館に入る。1823年文政6年2月13日)に婚姻した。1827年(文政10年6月10日)、斉明の死去に伴い、落飾し、恭真院と号する[2]

1857年安政4年4月26日)、死去。享年50[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 2006年,システムファイブ『日本後宮史』
  2. ^ 1990年,名著出版『系図纂要:宇多源氏』
  3. ^ 2008年,パレード『徳川将軍家墓碑総覧』