茂庄五郎
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茂 庄五郎(しげ しょうごろう、文久3年2月(1863年) - 大正2年(1913年)3月29日)は、明治時代に関西で活躍した建築家。関西の建築設計事務所設立の草分けとして、また工場建築を多く手がけたことで知られる。
経歴
[編集]1863年2月長崎生まれ。1891年7月に東京帝国大学造家学科選科を卒業後、尼崎紡績技師となり、尼崎工場の設計監督を行った。その後、海軍省に入り、呉鎮守府に着任したが、ほどなく辞職し、1895年(明治28年)に大阪に茂建築事務所を開設した。当時「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪において工場建築に着目し、関西の多くの工場建築の設計監督に携わった。
また、関西商工学校(現関西大倉学園)の創立にも参加し、監事を務めた。
1913年3月に腎臓病により、大阪市北区の自宅で逝去。享年51。
主な作品
[編集]- 尼崎紡績尼崎工場(1892年)
- 日本紡績福島本社工場(1895年、現存しない)
- 尼崎紡績・本社事務所(1900年、現 ユニチカ記念館)
- 毛斯綸紡績会社(1900年、現存しない)
- 阪神電鉄尼崎発電所(1904年、尼崎市、茂の設計と推定されている)
- 大阪電灯安治川発電所(1908年、現存しない)
- 堺セルロイド会社工場(1910年、現 ダイセル化学工業堺工場、2008年に1棟を残し全て解体)
参考文献
[編集]- 建築雑誌 第27輯第317號、1913年、建築學會
- 関西の近代建築、石田潤一郎著、1996年、中央公論美術出版
- 近代大阪の建築、1984年、大阪府建築士会
- 大阪府の近代化遺産、2007年、大阪府教育委員会