草井村
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くさいむら 草井村 | |
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草井村道路元標 | |
廃止日 | 1954年(昭和29年)6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 |
現在の自治体 | 江南市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 葉栗郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.83 km2. |
総人口 |
5,187人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
愛知県葉栗郡宮田町、丹羽郡古知野町 岐阜県稲葉郡前宮村、羽島郡中屋村、川島村 |
草井村役場 | |
所在地 | 愛知県葉栗郡草井村大字小杁字八幡東46 |
座標 | 北緯35度21分47秒 東経136度52分15秒 / 北緯35.363度 東経136.87081度座標: 北緯35度21分47秒 東経136度52分15秒 / 北緯35.363度 東経136.87081度 |
ウィキプロジェクト |
草井村(くさいむら)は、愛知県葉栗郡にかつてあった村。現在の江南市北部の、概ね草井、小杁、慈光堂、小脇、村久野、鹿子島および藤ヶ丘を村域とした。
地理
[編集]葉梨郡の最東部に位置する。
歴史
[編集]古より木曽川を渡る際の交通の要所の一つであった。鎌倉時代に起こった承久の乱(1221年)で鎌倉方の軍勢がここを渡って都へ攻め上ったと伝えられている。草井の渡しと呼ばれ、合併後の愛岐大橋の開通まで運航された。
江戸時代は尾張藩領(犬山藩となった成瀬氏領を含む)であった。
行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴う合併により小草鹿村と村久野村が成立[1]。
- 1895年(明治28年)9月30日 - 小草鹿村が草井村と小鹿村に分割[1]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 草井村、小鹿村、村久野村が合併し、改めて草井村が成立[2]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 葉栗郡草井村・宮田町と丹羽郡古知野町・布袋町が合併して江南市が成立する[3]。
行政
[編集]村役場
[編集]1906年(明治39年)5月の合併当時は大字小杁字寺屋敷44番に村役場を置いた[2]。
1951年(昭和26年)5月時点では大字小杁字八幡東46にあった[4]。
教育
[編集]交通
[編集]道路
[編集]太平洋戦争後に名古屋と草井を結ぶ県道の名草線(現:名古屋江南線・江南関線)が建設された。
脚注
[編集]- ^ a b 江南市教育委員会、江南市史編さん委員会 2001, pp. 517–518.
- ^ a b 「町村廃置」『官報』第6852号、印刷局、162–163頁、1906年5月5日。NDLJP:2950193/14。
- ^ 江南市教育委員会、江南市史編さん委員会 2001, pp. 673–675.
- ^ 愛知県総務部統計課 1951, p. 118.
参考文献
[編集]- 江南市教育委員会、江南市史編さん委員会 編『江南市史』 本文編、愛知県江南市、2001年3月30日。全国書誌番号:20165771。
- 愛知県総務部統計課 編『愛知県郡市町村勢要覧』愛知県統計協会、1951年10月15日。 NCID BA6289555X。