荒井正昭
あらい まさあき 荒井 正昭 | |
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生誕 |
1965年10月29日(59歳) 日本、群馬県新田郡藪塚本町(現太田市) |
出身校 | 群馬県立桐生南高等学校 |
職業 | 実業家 |
著名な実績 | オープンハウスグループ創業 |
肩書き | オープンハウスグループ代表取締役社長 |
栄誉 | 紺綬褒章 |
荒井 正昭(あらい まさあき、1965年10月29日 - )は、日本の実業家。オープンハウスグループ創業者兼代表取締役社長。群馬県太田市出身。
人物
[編集]不動産ビジネス観
[編集]戸建住宅、マンション、投資用物件などを扱う総合不動産グループ、オープンハウスグループの創業者。高校卒業後、浪人生活を経て不動産仲介会社に入社し営業職に就く。当初は成果を上げられないダメ社員であったが、3年目に一念発起しトップセールスマンに。10年後の1997年に部下とともに独立し、株式会社オープンハウスを創業[1]。 「東京の家を持とう」のキャッチフレーズのもと、都心の利便性の高い立地の住宅を、手頃な価格で提供するためのビジネスモデルを考案したことで知られる。線路際、墓地の横、道路の一番奥、三角の土地など、一般には宅地として難があるとされる土地を仕入れコストを削減。設計の柔軟性の高い木造在来工法で建てることで、建築仕様の融通が効きにくい大手ハウスメーカーが手が出しづらい狭小地や変形地の活用に成功した[2]。
ビジネスモデルからも分かる通り、仕組みを重視する理論派。同社の営業スタイルの代名詞である「源泉営業(その土地の近隣に住む人々に路上で声をかける営業行為)」も、家を買う人の7、8割は今の家の近くを選ぶというデータを根拠とするもの[3]。「普通の営業員でも売れる」状態をつくるために、ITを活用したバックオフィス機能の強化を図っている[4]。
組織論
[編集]営業リソースを中途採用に頼ることが多い不動産業界にありながら、新卒採用と育成を重視すると公言。「腕のいい営業マンが何も買わない人を接客するのと、何でも買うお客さんを腕の悪い営業マンが接客するのとでは、後者のほうが売れる」と発言[5]しており、出会った顧客をクロージングする営業スキルよりも、良い顧客と出会えるまで何百人でも会い続ける体力と素直さを重要視する。そのため、力を抜くことを覚えたベテラン営業マンを中途採用するよりも、まっさらな新卒社員を行動するのが当たり前の文化に馴染ませるほうが結果を出しやすいと主張する。
また、自身が長らくサラリーマンとして勤めた後に独立した経験から、優秀な営業マンほど引き抜きや独立の誘惑が多いことを熟知。社員に辞めたいと思わせないことが重要であると度々口にしている。[6]
人物評
[編集]- 一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻(ICS)教授の楠木建は、荒井について、久々に現れた戦国大名、非常にアグレッシブな経営者と評しており、「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康を足して、3で割らないタイプ」と表現[7]。楠木は後に、「社長は織田信長と豊臣秀吉と徳川家康と明智光秀を足して4で割らずに×2したタイプ」と言い換えつつ、「(荒井を中心に)半径50mがそこだけ昭和の高度経済成長期」と評した。[8]
語録
[編集]- 楽な会社なんて言ったことない。自分で選んで入ったんだろ?奴隷みたく連れてこられた奴いるか?自分で選んだのに泣き言言うな!
- 下からの評価の方が厳しい、上司ができないと舐められる、まずは自分でやれ
- 気を抜いたら取り戻すのに3日はかかる
- 土日に休んでる奴らに負けたら悔しいだろ
- 趣味?ねーよ仕事だろ、一番長い時間費やしてんだから、それが楽しくなかったら人生楽しくねーだろ
経歴
[編集]- 1965年10月29日、群馬県新田郡藪塚本町(現太田市)で生まれる。群馬県立桐生南高等学校卒業後、東京都でアルバイト生活を送る[10]。父親も地元で不動産会社を経営していた。
- 1987年10月、ユニハウス入社。10年間営業を担当。
- 1997年9月、オープンハウスを東京都渋谷区に設立、代表取締役社長就任。
- 1997年10月、「株式会社センチュリー21・ジャパン」とフランチャイズ契約を締結
- 2001年2月、自社新築一戸建住宅の販売開始
- 2001年8月、一級建築士事務所登録[東京都知事登録第46671号]
- 2001年9月、創建ビルド有限会社の全出資持分を取得し100%子会社化(2002年7月に株式会社に組織変更、2004年8月に株式会社泊ビルドに商号変更)
- 2006年10月、株式会社泊ビルドを株式会社オープンハウス・ディベロップメントに商号変更
- 2007年8月、イトーピアビジネスネット株式会社の全株式を伊藤忠商事株式会社より購入し、100%子会社(取得後67%持分とし、2010年9月に100%取得)とし、株式会社アイビーネットに商号変更
- 2008年10月、株式会社オープンハウス・ディベロップメントがマンションの販売開始
- 2010年9月、米国カリフォルニア州にOpen House Realty & Investments, Inc.を設立
- 2010年9月、中国上海市に旺佳建築設計諮詢(上海)有限公司を設立
- 2011年10月、東京都千代田区丸の内に株式会社OHリアルエステート・マネジメントを設立
- 2012年9月、「株式会社センチュリー21・ジャパン」との間のフランチャイズ契約を解約
- 2013年1月、本社を東京都千代田区丸の内に移転。
- 2013年9月、東京証券取引所第一部に上場。
- 2019年6月、地元のプロバスケットボールクラブ、群馬クレインサンダーズ会長に就任[11]。
- 2020年5月、株式会社プレサンスコーポレーションの株式を取得し持分法適用関連会社化
- 2023年10月、株式会社三栄建築設計の発行済み株式の約93%を10月5日付で取得し子会社化
資産
[編集]- 2019年、フォーブスの日本の富豪49位。資産は1,030億円[12]。
- 2020年、フォーブスの日本の富豪37位。資産は1,120億円[12]。
- 2020年、東洋経済の『配当含む「年収1億円超」経営者ランキング500』で、配当収入や役員報酬合わせた額が30億2,400万円であることが報じられた。これは、ファーストリテイリングの柳井正、ソフトバンクの孫正義に次いで国内3位にあたる金額であった[13]。
- 2021年、フォーブスの日本の富豪23位。資産は2,530億円[12]。
- 2022年、フォーブスの日本の富豪24位。資産は2,460億円[12]。
- 2023年、フォーブスの日本の富豪24位。資産は2,810億円[12]。
役員報酬
[編集]- 2016年9月期 - 1億6,200万円(従業員平均年収:655万円)
- 2017年9月期 - 1億9,800万円(従業員平均年収:654万円)
- 2018年9月期 - 2億4,000万円(従業員平均年収:635万円)
- 2019年9月期 - 3億円(従業員平均年収:642万円)
- 2020年9月期 - 3億3,200万円(従業員平均年収:655万円)
- 2021年9月期 - 3億9,600万円(従業員平均年収:644万円)
- 2022年9月期 - 4億5,600万円(従業員平均年収:697万円)
- 2023年9月期 - 5億7,300万円(従業員平均年収:732万円)
※上記は役員報酬のみであり、配当収入は含めていない。
寄付
[編集]問題
[編集]受賞歴
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “株式会社オープンハウス 代表取締役社長 荒井正昭 | 情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~”. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “受賞企業インタビュー | 受賞式・カンファレンス”. ポーター賞. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “受賞企業インタビュー | 受賞式・カンファレンス”. ポーター賞. 2024年8月4日閲覧。
- ^ 日経ビジネス電子版 (2023年5月8日). “オープンハウス荒井社長 「イケイケだけど緻密」 で目指す業界No.1”. 日経ビジネス電子版. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “【激論】叩き上げ経営者が語る「不動産ビジネス」の勝ち方”. NewsPicks (2020年11月29日). 2024年9月2日閲覧。
- ^ “【楠木×オープンハウス社長】一部上場イチの成長率、決め手は「新卒」”. NewsPicks (2016年5月3日). 2024年9月2日閲覧。
- ^ ポーター賞 受賞企業インタビュー 株式会社オープンハウス戸建事業部
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=35o0ZYPm9Uc
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=35o0ZYPm9Uc
- ^ 桐生法人会 社会貢献活動「税を考える週間」協賛事業 桐生法人会
- ^ [2019.06.18] 株式会社群馬プロバスケットボールコミッション 新経営体制について
- ^ a b c d e Forbes.com
- ^ 配当含む「年収1億円超」経営者ランキング500
- ^ オープンハウス社長、群馬県太田市に5億円寄付
- ^ 『官報』第388号、令和2年12月7日