荒川さつき
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あらかわ さつき 荒川 さつき | |
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本名 | 吉田 五月[1] |
生年月日 | 1927年12月22日(96歳) |
出生地 | 日本・東京府[1] |
出身地 | 熊本県 |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1950年 - |
荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日[1][2] - 没年不明)は、日本の女優。本名は吉田 五月[1]。
来歴・人物
[編集]熊本県出身。東京川村女学院(現・川村高等学校)を経て実践専門学校中退[1]。鎌倉在住の文士たちが中心になって開催した鎌倉カーニバルにおいてミス鎌倉に選ばれ、久米正雄の推薦により、1949年に大映に入社[1][2]。1950年、映画「私は狙われている」(監督:森一生)で主役に抜擢される。1952年に新東宝に移籍[1][2]。1959年に東映入社[2]。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属[2] 。
1956年、関東女子ゴルフ選手権で優勝。当時、大きな話題となる[3]。
主な出演作品
[編集]テレビ
[編集]- 海底人8823(1960年、バッジをつけた女役)
映画
[編集]- 私は狙われている(1950年)
- 転落の詩集(1950)
- 密林の女豹(1950)
- 午前零時の出獄(1950)
- 海峡の鮫(1950)
- 消防決死隊(1951年)
- 赤い鍵 (1951年)
- ひばりの子守唄 (1951年)
- 自由学校 (1951年)
- 毒蛇島綺談 女王蜂 (1952年)
- 死の街を脱れて (1952年)
- 大学の小天狗 (1952年)
- 二つの処女線 (1952年)
- 花嫁花婿チャンバラ節 (1952年)
- 乾杯!東京娘 (1952年)
- 決闘五分前 (1953年)
- 南十字星は偽らず(1953年)
- 一等女房と三党亭主(1953年)
- 初笑寛永御前試合(1954年)
- 浮かれ狐千本桜(1954年)
- 森繁のデマカセ紳士(1955年)
- 金吾桜の雷社長 (1956年)
- 金吾桜の天晴運転手物語(1956年)
- 風雲天満動乱 (1957年)
- 続風雲天満動乱 完結編(1957年)
- 愛は鉄窓を超えて(1957年)
- 女の防波堤(1958年)
- 童貞社員とよろめき婦人(1958年)
- 薔薇と女挙銃王(1958年)
- 黄色い風土 (1961年、バー・トリオのマダム役)