菅井斌麿
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菅井 斌麿(すがい としまろ、1899年〈明治32年〉7月27日[1] - 1992年〈平成4年〉3月20日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]徳島県出身[1][3]。1921年(大正10年)7月に陸軍士官学校第33期卒業[4]。1931年(昭和6年)11月に陸軍大学校第43期卒業[5]。
関東軍参謀、参謀本部教育課教育課員、同教育課長、陸軍省兵務局兵備課長を経て、1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進む[3]。1943年(昭和18年)2月、陸軍省高級副官となり、1945年(昭和20年)2月、朝鮮軍管区参謀副長兼第17方面軍参謀副長に補され[3][6]、朝鮮半島の守備に就いた[1]。同年6月、陸軍少将に進級した[1][3]。
戦後、京城連絡班長に就任[7]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]。
その後、茶販売業を営んだほか、乃木神社の戦災復興奉賛会事務局長などを歴任した[2]。1992年(平成4年)3月、老衰で死去した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 『偕行 平成4年5月号』偕行社、1992年。