コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

菅原エン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅原えんから転送)
菅原エン
すがわら エン
生年月日 1900年2月27日
出生地 日本の旗 日本 岩手県東磐井郡渋民村
(現・岩手県一関市
没年月日 (1994-02-15) 1994年2月15日(93歳没)
出身校 戸板裁縫学校高等師範科卒業
前職 歌人
俳人
所属政党日本進歩党→)
民主党→)
無所属→)
自由民主党

選挙区 岩手県全県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1946年 - 1947年3月31日
テンプレートを表示

菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日[1] - 1994年2月15日[1][2][注 1])は、日本政治家。元衆議院議員(1期)。歌人俳人、号は艶女[3][4]

経歴

[編集]

岩手県東磐井郡渋民村曽慶(現一関市大東町曽慶)出身[1][2][5]。盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)を経て[1][6]、結婚し子供を儲けるが、離婚し、実家に戻り、地元の小学校に勤務する[6]。その後、上京し戸板裁縫学校高等師範科(現・戸板女子短期大学)に入り、1929年に卒業する[1][7][8]。卒業後は帰郷し、岩手県歌人協会会員[8]。岩手県翼賛報国会文芸部員となり[8]、歌人、俳人として短歌俳句を詠んだ。

1946年第22回衆議院議員総選挙で、岩手県全県区にて日本進歩党から立候補してトップで初当選した[1][6][7]。国内初の女性代議士の一人で、女子従業員の待遇改善や民生委員の女性登用などに尽力した[9]

1947年総選挙岩手2区から民主党で立候補したが落選[10]1949年総選挙に無所属で立候補したが落選した[11]

のちに自民党に入党し、大東町支部の顧問となった[12]

1994年死去。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『新しき明日の来るを信ず』174頁では「2月16日」。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『岩手人名辞典』139頁。
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1994~1996』299頁。
  3. ^ 『新しき明日の来るを信ず』172頁。
  4. ^ 『岩手初の女性代議士 菅原エン一代記』5ページ。
  5. ^ 『衆議院要覽(抄) 昭和二十一年十一月』衆議院事務局、1946年12月15日、69頁。doi:10.11501/11577619 
  6. ^ a b c 『新しき明日の来るを信ず』174頁。
  7. ^ a b 『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』217頁。
  8. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』327頁。
  9. ^ 渋民村出身、岩手初の女性代議士 菅原エン一代記出版 大東・菊地さん「地位向上 一助に」【一関】”. Iwanichi Online 岩手日日新聞社. 2020年11月21日閲覧。
  10. ^ 『朝日選挙大観』451頁。
  11. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』25頁。
  12. ^ 『岩手人名大鑑 1986』276ページ、岩手日報社、1986年。

参考文献

[編集]
  • 『岩手人名大鑑 1986』岩手日報社、1986年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』角川書店、1998年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 菊地和夫著『岩手初の女性代議士 菅原エン一代記』自費出版、2017年、非売品。