菅原古墳
菅原古墳 | |
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墳丘(左に後円部、右に前方部) | |
別名 | 菅原31号墳/菅原神社古墳 |
所属 | 菅原古墳群 |
所在地 | 新潟県上越市清里区菅原(字天神林)(菅原神社境内) |
位置 | 北緯37度4分26.35秒 東経138度19分38.55秒 / 北緯37.0739861度 東経138.3273750度座標: 北緯37度4分26.35秒 東経138度19分38.55秒 / 北緯37.0739861度 東経138.3273750度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長29m 高さ1.8m(後円部) |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀前半-中葉 |
史跡 | 新潟県指定史跡「菅原古墳」 |
地図 |
菅原古墳(すがわらこふん/すがはらこふん、菅原31号墳/菅原神社古墳)は、新潟県上越市清里区菅原にある古墳。形状は前方後円墳。菅原古墳群を構成する古墳の1つ。新潟県指定史跡に指定されている。
本項目では、菅原古墳が属する菅原古墳群についても解説する。
概要
[編集]新潟県南西部、頸城平野南東縁の独立丘陵(岡嶺丘陵)上に築造された古墳である。菅原古墳群のうち最南端に位置し、現在は菅原神社(延喜式内社)境内に所在する。
墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向ける。墳丘表面で葺石・埴輪は認められていない[1]。墳丘周囲には周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は横穴式石室で、初期横穴式石室と推測され、現在は天井石・側壁の一部を露出する[1][2]。副葬品は詳らかでない。
この菅原古墳は、古墳時代後期の6世紀前半-中葉頃の築造と推定される[1]。新潟県内では横穴式石室を有する前方後円墳(古墳時代後期の前方後円墳)としては唯一であるとして重要視される古墳である[1][2]。
古墳域は1952年(昭和27年)に新潟県指定史跡に指定されている[3]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り。
- 墳丘長:29メートル
- 後円部
- 直径:18メートル
- 高さ:1.8メートル
- 前方部
- 長さ:12メートル
- 幅:15メートル
- 高さ:1メートル
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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後円部の横穴式石室
菅原古墳群
[編集]菅原古墳群は、岡嶺丘陵の東側斜面にある古墳群(群集墳)。前方後円墳1基(31号墳)・円墳100基以上から構成されたが、現在は多くが失われている。
江戸時代中期には約150基[2]、調査以前には108基の古墳が存在したというが、1960年(昭和35年)の調査時点では30基のみが確認されている[4]。1909年(明治42年)に坪井正五郎・梅山寿三郎、1929-1930年(昭和4-5年)に後藤守一・小松芳春らによって、円墳7基の調査が実施されている[4]。調査によれば、埋葬施設は横穴式石室を主体とする古墳群と見られる。また副葬品として、鉄刀・鉄鏃・刀子・馬具・玉類・金環・銀環・アスファルト玉が検出されている[4]。営造時期は古墳時代後期の6世紀代と推定され、宮口古墳群(国の史跡)・水科古墳群(国の史跡)などとともに頸城平野東部における後期群集墳の1つになる[2]。
古墳群のうち、上述の31号墳(菅原古墳)は新潟県指定史跡に指定されているほか、1号墳と16号墳石室(清里区総合事務所付近に移転復元:附指定)は上越市指定史跡に指定され、古墳群からの出土品は上越市指定有形文化財に指定されている。
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出土品(一部は上越市指定有形文化財)
牧歴史民俗資料館展示。 -
出土品(森成コレクション)
牧歴史民俗資料館展示。
文化財
[編集]新潟県指定文化財
[編集]- 史跡
- 菅原古墳 - 所有者は菅原神社。1952年(昭和27年)12月10日指定[3]。
上越市指定文化財
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(上越市教育委員会設置)
- 「埋文にいがたNo.32 菅原古墳」 (PDF) (新潟県埋蔵文化財調査事業団) - リンクは新潟県埋蔵文化財調査事業団。
- 「菅原古墳群」『日本歴史地名大系 15 新潟県の地名』平凡社、1986年。ISBN 4582490158。
- 中島栄一「菅原古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 橋本博文「菅原古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『菅原古墳群発掘調査報告書 -第6・15・16・28号墳-』清里村教育委員会、2000年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 菅原古墳 - 上越市ホームページ