菅家陳彦
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菅家 陳彦(かんけ のぶひこ、1923年 - 1985年)は、日本の映画プロデューサー、ドキュメンタリー映画監督。
人物
[編集]福島県南会津郡只見町出身[1]。 日本映画社で劇映画『空気のなくなる日』(1949年)の助監督をした後、退社。フリーで活躍した。
プロデュースした『月の輪古墳』(1954年、月の輪映画製作委員会=記録教育映画製作協議会)が第1回教育映画祭社会教育部門最高賞受賞[2]。監督した記録映画『おふくろのバス旅行』(1957年、記録映画社)が教育文化映画賞。脚本・監督を担当した『産業と公害』(1965年、日本シネセル)が東京都教育映画コンクール銀賞、日本産業映画コンクール日本産業映画賞[3]、同じく脚本・監督を担当した『冷凍魚』(1965年、日本シネセル)が科学技術映画祭入選、日本産業映画コンクール日本産業映画賞[3]受賞。
フィルモグラフィ
[編集]- 劇映画『空気のなくなる日』(1949年、日本映画社)助監督
- 記録映画『月の輪古墳』(1954年、月の輪映画製作委員会=記録教育映画製作協議会)製作
- 記録映画『197日の斗い 日鋼室蘭』(1955年、記録映画製作協議会=総評)監督
- 記録映画『おふくろのバス旅行』(1957年、記録映画社)監督
- 記録映画『おやじ』(1959年、記録映画社)監督
- 記録映画『黄色い車』(1958年、日本通運)監督
- 記録映画『流氷の町』(1961年、記録映画社)脚本・監督
- 記録映画『産業と公害』(1965年、日本シネセル)脚本・監督
- 記録映画『冷凍魚』(1965年、日本シネセル)脚本・監督
- 記録映画『日本の憲法』(1965年、京都改憲阻止映画製作委員会)監督
- 記録映画『あなたも経営者 −企業と資金−』(1966年、日本シネセル)監督
- 記録映画『ほけん物語』(1966年、日生劇場映画部)脚本・監督
- 記録映画『海を渡るコンテナ』(1969年、日本シネセル)脚本
- 記録映画『アンネの日記』(1985年)製作
出典
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『映像メディア作家人名事典』1991年。ISBN 4816911111。
- ^ ショートフィルム再考−映画館の外の映像メディア史から Ⅳ(承前)吉原順平 3 社会教育分野の「教育映画」
- ^ a b 戦後産業史を描く産業映像500