菅本三右衛門
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菅本 三右衛門(すがもと さんえもん、1859年12月9日(安政6年11月16日)[1][2] - 没年不明)は、日本の農民、金融業者、資産家[2][3][4]、大阪府多額納税者[5][6][7][8][9]。族籍は大阪府平民[2][3][4]。
人物
[編集]大阪府平民・菅本三右衛門の長男[2][3][4]。1880年、家督を相続する[2][6][9]。農業[2][4]、金融業[5][7][10]、貸金業[11]を営み、資産家である[2]。菅本合資会社出資社員である[6]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1][11]。孫の三次郎が三右衛門の後を承け家督を相続し、菅本合資会社代表社員となる[12][13]。住所は大阪府西成郡中津町光立寺[14]、大阪市東淀川区中津本町[1][8][10]、中津本通4丁目[6]、中津浜通4丁目[5][7][9]。
家族・親族
[編集]- 菅本家
- 父・三右衛門[2][3]
- 妻・ユカ(1864年 - ?、大阪、朝岡清四郎の妹)[2][3][9]
- 養子
- 長女(幾久馬の妻)[2][3]
- 三女(一之の妻)[6]
- 孫・三次郎(1917年 - ?、菅本合資会社代表社員)[12] - 1939年、紺綬褒章を下賜される[13]。宗教は真宗[13]。住所は大阪市東淀川区中津南通4丁目[12][13]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『貴族院多額納税者名鑑』大阪府59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』す12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』す13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月21日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』す13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第10版 上』ス33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第11版 上』ス37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月22日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』大阪府9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月21日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』大阪府10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』ス24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月28日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第33版』大阪スの部166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月25日閲覧。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』大阪府143頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月22日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 上』ス27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 上』ス24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月9日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第18版』大阪すの部400頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。