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菅田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すげたむら
菅田村
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
大洲町平野村南久米村菅田村大川村柳沢村新谷村三善村粟津村上須戒村大洲市
現在の自治体 大洲市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
喜多郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,370
国勢調査1950年
隣接自治体 大洲町、五十崎町、南久米村、大川村、新谷村
菅田村役場
所在地 愛媛県喜多郡菅田村大字菅田
座標 北緯33度30分37秒 東経132度35分28秒 / 北緯33.51022度 東経132.59122度 / 33.51022; 132.59122座標: 北緯33度30分37秒 東経132度35分28秒 / 北緯33.51022度 東経132.59122度 / 33.51022; 132.59122
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菅田村(すげたむら)は、愛媛県喜多郡にあった。現在の大洲市菅田町各町にあたる。

地理

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  • 山岳:神南山、根太山
  • 河川:肱川

歴史

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経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば菅田村の篤農家は、「有友正親、富永五郎、寺岡文六、大野藤太、富永寅太郎、西野茂一郎、富永定治郎、矢野寅五郎、高田藤馬、福居甚五郎、森常治、池田重雄、二宮近、西村傳」などである[1]。『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』によれば農業を営む人物は「岡田喜十、二宮喜輿嘉、西岡幾雄、福居甚五平」などである[2]

地主

池田龍一は、愛媛県下の大地主である[3]

交通

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道路

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出身・ゆかりのある人物

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  • 有友不羈太郎(1888年 - ?、養蚕業、政治家)[2] - 村会議員をつとめた[2]。また養蚕に関する知識に富み、教師をつとめたこともある[2]
  • 池田重雄1870年 - ?、政治家・郡会議員、菅田郵便局長、大洲商業銀行監査役
  • 岡田喜十(1872年 - ?、農業、政治家)[2] - 1922年1月、村会議員に推された[2]
  • 二宮熊雄(1872年 - ?、神職[2] - 二宮家は代々神職であり、熊雄は其の第15代である[2]
  • 二宮喜輿嘉(1878年 - ?、農業、政治家)[2] - 農業を営み傍ら養蚕をなし区長、部落総代をつとめた[2]1922年1月、村会議員に推された[2]
  • 福居甚五平(1871年 - ?、農業、政治家)[2] - 1897年3月、村収入役となり、1908年9月、助役に推され1909年1月、辞す[2]1911年1月、村会議員に選ばれて1期間就任し、1918年、村長に推薦せられて1922年8月迄就任した[2]
  • 井上治(1932年 - ?、陸上競技選手)

脚注

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  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』喜多郡あの部105、をの部31、にの部11-12、ふの部100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。
  3. ^ 『日本現今人名辞典』い79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月7日閲覧。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
  • 角川日本地名大辞典 38 愛媛県』。

関連項目

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