コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

菅野序遊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

菅野 序遊(すがの じょゆう)は、一中節三味線方の名跡。代々菅野派家元

初代

[編集]

宝暦11年(1761年) - 文政6年12月12日1824年1月12日))

江戸吉原の茶屋3代目(4代目とも)桐屋五兵衛の子。河東節の三味線方で山彦文次郎1805年に3代目山彦新次郎を襲名。寛政時代に入り、一中節に転じ菅野序遊を名乗り5代目都一中の三味線方になった。

古典の復活や「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲以上の作曲をした。

他にも箏を山田検校、浄瑠璃を4代目竹本染太夫に教わった。

一中節の中興の祖。

実子が2代目序遊を継いだ。


2代目

[編集]

天明4年(1784年) - 天保12年1月10日1841年2月1日))

江戸の生まれ、初代序遊の実子。最初は河東節の三味線方で山彦文次郎。後に一中節に転じて2代目序遊を襲名した。茶、俳句、書画なども嗜む風流人であった。1839年には6代目都一中で紛糾をし菅野派を企てる。

3代目

[編集]

(生年不詳 - 嘉永4年9月17日1851年10月11日))

江戸の生まれ、2代目序遊の甥。通称を「幾三郎」。

4代目

[編集]

天保12年7月26日1841年9月11日) - 大正8年(1919年9月23日)本名は菅野藤次郎。

江戸吉原の茶屋6代目桐屋五兵衛の子。初代序遊の門弟の菅野序国の門弟で3代目序遊没の1851年に4代目序遊を襲名した。

「江戸紫」「品川八景」などを残す。

5代目

[編集]

明治19年(1886年3月26日 - 昭和36年(1961年8月20日)本名は菅野利三。

4代目序遊の甥で養子。1920年に5代目序遊を襲名し家元になる。

「銀鱗」「桜川」などを残す。