菊富士ホテル火災
菊富士ホテル火災 | |
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現場 | 日本・群馬県利根郡水上町湯原750 |
発生日 |
1966年(昭和41年)3月11日 3時30分頃 |
類焼面積 | 2640㎡ |
原因 | 石油ストーブの不始末 |
死者 | 30人 |
負傷者 | 29人 |
菊富士ホテル火災(きくふじホテルかさい)とは、1966年(昭和41年)3月11日未明、群馬県利根郡水上町湯原の水上温泉「菊富士ホテル」(耐火構造、一部木造4棟、新館・地下1階、3階建、延床面積7,465平方メートル)で発生した火災事故である。
死者30人、負傷者29人に及ぶ被害を出した。
経緯
[編集]菊富士ホテルは群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)湯原750にあったホテル(温泉宿、旅館)で[1]、東京市本郷区にあった菊富士ホテルの姉妹ホテルとして1930年(昭和5年)11月に創業した。豪華な大理石造りの風呂や鍋料理を自慢としており[1]、国際観光旅館に格付けされていた。
1966年(昭和41年)3月11日午前3時30分頃[2]、鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階建ての菊富士ホテル新館1階にあった警備室から出火[2]。室内で仮眠をとっていた警備員が誤って石油ストーブを転倒[注 1]、衝撃で漏れた油に着火したのである[3]。目を覚ました警備員が火災に気付き、消火器を使っての消火を試みるも失敗。部屋を出た警備員はホテルのフロントで火災報知機を作動させ、火事を知らせに別棟の従業員宿舎へと向かった[3]。このとき、玄関を開放したことで建物内に風が吹き込み、延焼に拍車を掛けた[3]。結局、新館のみならず木造2階建ての客室、社長宅など5棟、2,640平方メートルが全焼[2][4]。さらに隣接するホテル白雲閣の木造3階建ての建物2棟、1,650平方メートルが全焼した[2]。
同日の午前6時頃に鎮火。宿泊していた219人のうち、死者30人[注 2]、重軽傷者29人を出した[2]。茨城県東茨城郡御前山村(現・常陸大宮市)の葉タバコ耕作組合の団体客が犠牲となった[4]。宿泊客のほとんどは酒を飲んで熟睡中で、炎や煙、臭いで目を覚まし、火事に気付いた[3]。火災報知機は作動していたが、音の大きさは「遠くで電話が鳴っている」程度にしか聞こえないもので、宿泊客らに火災の発生を知らせるには不十分なものであった[3]。非常口の扉は内側から鍵が掛けられており、避難しようとした宿泊客のみならず、駆けつけた消防士らの行く手をも阻んだ[3]。死者のうち半数の15人は火の手が及ばなかった客室に居たが、充満した煙による一酸化炭素中毒で命を落とした[3]。また、不注意で石油ストーブを転倒させた警備員は、重失火と重過失致死傷容疑で逮捕された。
その後
[編集]ホテルは取り壊されて更地となった。跡地は長らく更地のままであったが、現在はリゾートマンションの「サニックス水上壱番館」が建つ[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『写真集 目で見る群馬県民の昭和史』上毛新聞社、1987年11月16日。
- 上毛新聞社編『群馬の20世紀 ―上毛新聞で見る百年―』上毛新聞社、2000年2月25日。ISBN 4880587656
- 『水上温泉旅館協同組合創立50周年記念誌 みなかみ』水上温泉旅館協同組合、1983年3月25日。
外部リンク
[編集]- 特異火災事例 菊富士ホテル (PDF) - 消防防災博物館
- ホテル・旅館火災の特徴と事例「水上温泉 菊富士ホテル火災」 - サンコー防災株式会社
座標: 北緯36度46分0.2秒 東経138度58分12.97秒 / 北緯36.766722度 東経138.9702694度