菊西正子
表示
菊西 正子(きくにし まさこ、1916年 - 2009年)は、生田流(菊筋)筝曲及び野川流三絃教授(当道音楽会大師範大勾当[1])。
日本箏曲連盟役員、当道音楽会評議員、神戸三曲協会理事、西宮三曲協会理事などを歴任[2]。
経歴
[編集]1933年3月神戸山手高等女学校(現神戸山手女子中学校・高等学校)卒(第5回生)[3]。
芸の道は長姉の麻子が継ぐべく幼少の折より厳しく指導を受けていたが、1936年に37歳で急逝したことから、その後を継ぐこととなり、勤めていた会社を辞し、父及び兄弟子の菊茂琴昇から手ほどきを受け、当道音楽会大勾当となる。
神戸市中央区加納町で菊西箏曲研究所・琴栄会を主宰し、箏曲及び三絃を教授。
主な演奏歴
[編集]- 菊西繁樹十三回忌追善法要(1957年9月29日 琴栄会主催) 於:神戸国際会館大ホール 演奏詳細不明[4]
- 生田流筝曲演奏会(1968年12月1日 琴栄会主催) 於:神戸農業会館大ホール 全27曲中23曲を演奏(明治百年を記念)[5][6]
- 第37回日本筝曲会連盟演奏会(1988年12月25日 日本筝曲会連盟主催) 於:国立劇場小ホール 兵庫地区より「春の曲」(吉沢検校作曲)を筝替手で演奏[5][7]
- 大阪府芸術劇場「第18回間を聴く」(1994年8月5日 古流地歌保存會[8]主催) 於:国立文楽劇場小ホール 特別出演にて「五段砧」(光崎検校作曲)の筝高音を演奏[5][9]
教育活動
[編集]西宮市立西宮東高等学校や私立聖和短期大学の筝曲部を指導[10]した他、NHKラジオの音楽番組などで活躍。
受賞歴
[編集]1984年5月神戸市あじさい賞を受賞[11]。神戸市長より感謝状等の栄誉がある。
震災後
[編集]1995年1月の阪神・淡路大震災後、親族のいる千葉県に移り、芸歴を引退した。2009年5月3日多臓器不全のため死去。享年93歳[12]。
脚注
[編集]- ^ 女性の最高位。男性の最高位が大検校。
- ^ 邦楽の友メールマガジン(2009年5月8日第381号)
- ^ 友松会(同窓会組織)事務局
- ^ 邦楽の友(1985年4月)「道」欄(「父・菊西繁樹」)
- ^ a b c 演奏会プログラムより
- ^ 演奏曲目は①鳳寿楽(第二筝)②もゝとせ(三絃)③松の寿(筝)④三段の調(筝本手)⑤野菊(筝本手)⑥六段の調(筝本手)⑦新巣籠(筝)⑧春と花の幻想曲(第二筝)⑨白百合舞曲(筝低音)⑩Aお星さん Bつばめの泥ぬり(菊雅社中)⑪千鳥の曲(菊枝社中)⑫時鳥の曲(地替手、筝は菊枝社中)⑬虫の音(三絃)⑭秋の曲(筝本手)⑮小川のほとりにて(第一筝)⑯雪の花(菊石社中)⑰ゆかりの調(筝替手)⑱越後獅子変想曲(筝高音)⑲加賀の月(三絃、筝は菊枝社中)⑳摘草(筝本手)21夜の円舞曲(菊枝社中)22秋風の辞(筝)23嵯峨の秋(筝高音)24大内山(筝替手)25虫の武蔵野(筝)26明治松竹梅(筝高音)27根曳の松(三絃)。賛助出演者は、尺八が村田輝山、西原楽山、森行山、野田王山、山田簫童、斉藤直水、三輪岳憧、川崎嶺童、柏木梢山。筝が菊雅節子、菊端園子、菊石かよ、菊月美代子、菊枝智世、菊圓はな。
- ^ 【筝本手】板谷隆一、中島絃教、菊月美代子、小倉萬知井、前田直子、菊雅節子、中里絃恵、中康きみ子【筝替手】他に島本周、菊井松音、菊林松韻、亀井㐂代子
- ^ 中華絃耀創始。娘の川口慧耀が引き継ぐ
- ^ 低音は菊茂琴昇
- ^ いずれも阪神・淡路大震災にて千葉県に移るまで
- ^ 第23回あじさい賞受賞者名簿(1984年5月2日:神戸市)
- ^ 神戸新聞(2009年5月4日)等