萩原広道
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萩原 広道(はぎわら ひろみち、文化12年2月19日(1815年3月29日) - 文久3年12月3日(1864年1月11日))は、江戸時代末期の歌人・翻訳家・作家・国学者である。本姓は藤原。通称は鹿蔵、鹿左衛門。号は葭沼、蒜園(にらぞの)など。備前岡山藩士[1]。平賀元義、大国隆正に学ぶ。弘化2(1845)年に浪人となり、大坂に居す。多くの国学者・歌人と交流し、独自の国学を確立。本居宣長に私淑した。代表作に『源氏物語評釈』があり、ほかに『小夜しぐれ』『てにをは係辞弁』などを著す。備前(現・岡山市中区網浜)出身。
主な作品
[編集]- 山陽道名所 (1840?)[2]
- 弖爾乎波係辞弁 (又、て・に・を・は係辞辨、1846)[3]
- 本教提綱 (又 、本学提綱、1846)
- 古語訳解 (1848)
- こころの種 (1850)
- 源氏物語評釈 (1854-1861)
畢生の大著『源氏物語評釈』は、医家である春日寛平宅において篠崎竹陰や緒方洪庵、中玉樹などを会して開かれた『源氏物語』の講筵筆記であり、江戸期を通じて最も精細な註釈書とされる。本書で述べられる説は新旧の諸註釈を参照したもので、特に宣長が『玉の小櫛』において示した説を祖述するとともに、文章の修辞的批評にまで及んでおり、単なる註釈書の域を出ている。特に「評」の視点を導入することで、『源氏物語』の文芸性を啓蒙していることは注目される。しかし、広道の病死によって源氏五十四帖中、第八帖「花の宴」までで中絶となった。[4]
- あしの葉分(1863) “萩原広道翁遺稿”[5]