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葉渭渠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葉 渭渠
生誕 (1929-08-06) 1929年8月6日
フランス領インドシナ サイゴン(現ホーチミン市チョロン地区
死没 (2010-12-11) 2010年12月11日(81歳没)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市垂楊柳医院
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
民族 ホア族
出身校 北京大学
職業 翻訳家
日本文学研究者
配偶者 唐月梅
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葉 渭渠
各種表記
繁体字 葉渭渠
簡体字 叶渭渠
拼音 Yè Weìqú
英語名 Ye Weiqu
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葉 渭渠(よう いきょ、1929年8月6日 - 2010年12月11日)は、中国翻訳家日本文学研究者[1][2]中国社会科学院教授早稲田大学客員教授学習院大学客員教授、立命館大学客員教授。川端康成の作品を初めて中国語に翻訳したことで知られる[3]

生涯

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葉はホア族ベトナムに在住する華人)であり、フランス領インドシナサイゴン(現ホーチミン市チョロン地区で1929年8月6日に生まれた。本貫広東省東莞である。

1952年に香港から北京へ移り、1956年に北京大学東方言語文学科日本文学専攻を卒業した[1][4]。卒業後は人民文学出版社中国社会科学院に勤めた。

1966年に文化大革命が勃発し、葉と妻の唐月梅の全ての蔵書が紅衛兵により焼かれ、2人は労働改造のために河南省の五七幹校中国語版に送られた。1976年に文化大革命が終了し、2人は解放された。それと同時に日本文学を学び始めた。

2010年12月11日、心臓病のため北京の垂楊柳病院で死去した[5]

著作物

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  • 『日本文化史』[6]
  • 『日本文学史』
  • 『日本文学思潮史』[7]
  • 物哀与幽玄――日本人的美意识』(もののあはれ幽玄――日本人の美意識)
  • 冷艳文士――川端康成传』(冷艶文士――川端康成伝)
  • 谷崎润一郎传』(谷崎潤一郎伝)[8]

中国語訳

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受賞歴

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2004年、中国翻訳協会より「優秀翻訳家」(資深翻譯家)の称号を受けた。

私生活

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1956年、中学時代からの恋人で翻訳家の唐月梅と北京で結婚した[11]

脚注

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  1. ^ a b “葉渭渠” (中国語). 中国作家網. http://www.chinawriter.com.cn/zxhy/member/6219.shtml 2014年1月17日閲覧。 
  2. ^ Ye Weiqu”. 2014年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
  3. ^ 葉渭渠”. china.org.cn (2008年7月21日). 2020年8月27日閲覧。
  4. ^ 葉渭渠”. 中国網. 2014年1月17日閲覧。
  5. ^ 值得好好研究的叶渭渠先生” (中国語). Hexun.com (2013年11月25日). 2014年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
  6. ^ 葉渭渠 (2010-11-01) (中国語). 日本文化史. Beijing: Beijing Institute of Technology Press. ISBN 9787564038250 
  7. ^ 葉渭渠 (2009-07-01) (中国語). 日本文学思潮史. Beijing: Peking University Press. ISBN 9787301153499 
  8. ^ Ye Weiqu (2005-08-01) (中国語). Beijing: New World Press. ISBN 9787801877017 
  9. ^ 川端康成 葉渭渠訳 (2013-08-14) (中国語). 雪国. Nanhai Publishing House. ISBN 9787544265591 
  10. ^ 川端康成 葉渭渠訳 (2010-08-01) (中国語). 伊豆的舞女. Nanhai Publishing House. ISBN 9787544248679 
  11. ^ 叶渭渠、唐月梅 最美学者伉俪” (中国語). china.com.cn (2010年12月17日). 2020年8月27日閲覧。