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董文直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

董 文直(とう ぶんちょく、生没年不詳)は、13世紀半ばにモンゴル帝国に仕えた漢人の一人。字は彦正。

概要

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董文直はモンゴル帝国最初期の漢人将軍の董俊の四男であったが、父の急死後、兄の董文炳董文蔚董文用らは相次いでクビライに仕え故郷を去っていったため、董文直は兄弟の中で唯一クビライに直接仕えず郷里の城県長官として一生を送った[1][2]

董文直は貧民に対しても分け隔てなく接する人物であり、病にかかった者がいれば必ず手ずから薬湯を作っていたことや、これを咎めるものに対して「貴賤によって自らの愛心に違うことが忍びないのだ」 と答えた逸話が記録されている。兄たちが数々の征戦で赫々たる武功を挙げ家門が繁栄する中でも、董文直のみは諸事に動じず生涯を送り、52歳にして病により亡くなっている[3]

脚注

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  1. ^ 『元史』巻148列伝35董文直伝,「文直字彦正、俊之第四子也。剛毅荘栗、簡言笑、通経史法律。為藁城長官、佩金符」
  2. ^ 牧野2012,354頁
  3. ^ 『元史』巻148列伝35董文直伝,「初、兄文炳及季弟文忠、去事世祖、次文用亦在朝、倶有仰於家、而食者餘百口、文直勤倹、始終不替。内則養生送死之合礼、外則中表賓問之中度、奉上接下、一敬一愛、藹乎其睦也。性好施而甚仁、里閈或貧不自立、毎陰済其急、不使之知恩所従来。微至僮病、必手予粥薬。或止之、曰『不忍以其賤違吾愛心』。及棄官、浮沈里社、任真適意、親賓過従、尊酒相労。家門日以烜赫、己独恬然、不見諸辞色。以病卒、年五十有二」

参考文献

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  • 元史』巻148列伝35董文直伝
  • 藤島建樹「元朝治下における漢人一族の歩み--藁城の董氏の場合」『大谷学報』66(3)、1986年
  • 藤野彪/牧野修二編『元朝史論集』汲古書院、2012年