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蒲原久四郎

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蒲原 久四郎(かんばら きゅうしろう、1874年明治7年)5月18日[1] - 1933年昭和8年)1月29日)は、日本逓信官僚朝鮮総督府官僚。

経歴

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佐賀県出身。1901年明治34年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[2]。通信事務官東京郵便電信学校教授、神戸郵便局監理課長、横浜郵便局監理課長、鹿児島郵便局長、逓信書記官・経理局検査課長、新潟逓信管理局長、名古屋郵便局長、西部逓信局総務部長、通信局規画課長、臨時電信電話建設局広島出張所長、朝鮮総督府逓信局長を歴任した[2]

1933年昭和8年)1月29日糖尿病のため朝鮮京城府東四軒町(現大韓民国ソウル特別市中区奨忠洞)の自宅で死去、58歳[3][4]。前年10月より糖尿病で療養していた[4]

脚注

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  1. ^ 人事興信所編『人事興信録 第5版』か之部(蒲、樺) か三九、人事興信所、1918年
  2. ^ a b 人事興信録 1925, p. か之部(蒲) か三八.
  3. ^ 蒲原久四郎氏逝く 三一日博文寺で葬儀」『京城日報』京城日報社、1933年1月30日、夕刊、2面。2024年3月19日閲覧。
  4. ^ a b 蒲原久四郎氏 糖尿病でけふ」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1933年1月30日、夕刊、1面。2024年3月19日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。