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蒲穆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蒲 穆
生誕 1879年1月15日
日本の旗 日本 福井県
死没 (1960-05-21) 1960年5月21日(81歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1900年 - 1935年
最終階級 陸軍中将
指揮 騎兵第5連隊長
騎兵第3旅団長
陸軍運輸部長
第10師団留守司令官
第16師団長
出身校 陸軍士官学校
陸軍大学校
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蒲 穆(かば あつし、1879年明治12年)1月15日[1] - 1960年昭和35年)5月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴・人物

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福井県出身[1][2]1900年(明治33年)陸軍士官学校第12期卒業、翌年、陸軍騎兵少尉に任官[1][3]。その後、1906年(明治39年)陸軍大学校に入学し、1909年(明治42年)同校第21期卒業[1][2]

1920年大正9年)8月に参謀本部附を経て、1922年(大正11年)2月に陸軍騎兵大佐に進級[2]。同年8月より稔彦王附武官を兼職する[2]

2年後の1924年(大正13年)12月に騎兵第5連隊長に転じ、1926年(大正15年)3月に陸軍少将第8師団司令部附となる[1][2]

ついで、1927年(昭和2年)7月に騎兵第3旅団長、1928年(昭和3年)3月に陸軍兵器本廠附、同年4月に国連陸軍代表を経て、1930年(昭和5年)8月に参謀本部附となったのち、翌年の1931年(昭和6年)8月に陸軍中将に進級し、陸軍運輸部長に任ぜられた[1][2]

さらに、1932年(昭和7年)4月に第10師団留守司令官、1933年(昭和8年)3月に第16師団長を経て、1935年(昭和10年)8月に参謀本部附となり、翌月の9月20日に待命し、同月25日に予備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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位階
勲章等

著作

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訳書

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 223頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 168頁.
  3. ^ 外山 1981, 165頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  5. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026